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是。我知道。太长了……其实幸田文大部分是写短篇的。很多都是超短篇。
这里贴一篇题材相近的,我认为可以和欧亨利的名篇《The Gift of the Magi》相媲美。 贈りもの 幸田文
いわば盛りの一家でした。夫はしごとのし盛り、妻はおちつきの出た奥様ざかり、子供たちは伸び盛り。きょうは降誕祭を祝って、兄弟より親しい間がらの友人一家を招こうと、妻は樅の木を飾った部屋で花を生けています。紅い薔薇、白い菊、花の色や薫りはときに人を感傷的にしたり、いたずらっぽく誘ったりします。ふと、胸を締めるように切なく、妻は夫を思いました。
相克の多い世相に、まずは平穏と云えるこの部屋のある幸福さ。思えばここへ辿る二十年に近い生活には、人の知らない風浪あり絶壁ありです。が、その旅路の第一歩には小さい灯がなつかしく輝いて、灯のなかには自分たちの忘れられない花嫁花婿の姿が映り、愛情の表現に満ちた若い日の記憶が躍っています。
妻は手早く花をかたづけると港町へ出かけて、むかし夫の愛用した香気高いキルク口の煙草を捜します。カードと紅い薔薇を添えて包ませ、帰りを新橋で降りると、駅のメッセンジャーに夫の事務所へ届けさせようという思いつきです。
夕がたやや遅く、夫は幾分の酔いを帯びて上機嫌に帰って来ました。妻の期待したことは一言も云われませんが、そのうち客も来、料理にも心を遣えば、起(た)ったりいたりです。夫は煙草を友人に勧め、さりげなく意味のとりにくい会話をしています。妻からの贈りものとはまったく考えず、しかもそれに心が弾んでる様子です。
どこかに夫に贈りものをする女がいる、夫の喜ぶひとがいる。一時に暑く、一時に寒く、女ごころです。はてと疑うと、すぐ決定的に考えてしまいます。それでも、さすがに年の功、失望と嫉妬の心へ辛うじて笑顔をかぶせ、とにかく食事は終って樅の木へ蝋燭をつけます。綿の雪、銀紙の星。
なにかで次の間へ起とうとした夫が襖を明けると、灯は一斉に色を乱して騒ぎます。「いけないよ、お父さん。消えるじゃないか。」――夫はとまどって苦笑し、席に帰りました。
「消えそうで消えないもんだ」と長男が云えば、「消えそうにちらちらする時がいちばん綺麗ね」と女の子。
つるっと妻の口も動きました。「あなた、煙草いかがでして?」
夫の答えより早く、無遠慮に友人が笑いだして、「こりゃいいや」と区切り、「あたりまえ過ぎるってことは、意外にわかりにくいものなのだね。第一が君の古い好みを知ってる、第二が若くもないこんな男に紅薔薇をつけて寄越す茶目っ気、第三が無記名の贈りものだ。この心安さは女房のほかには御座無く候ってものだ。」
てれきった夫の、泣き笑いの妻の、二つの顔に影が揺れます。時計が一つだけ、ぼんと鳴りました。 姦声这篇文章从头到尾都让我大惊失色。幸田文真是太厉害了。从各个方面来说。
文章中的那个马贼当然是个恶棍,但好歹也算条汉子。 幸田文在结婚十年以后离婚。 如果是放在现在,一般人也许早就离婚了吧? 我们现在这个肤浅、浮躁的世界!读幸田文的文字大体都会有此感受。 这一篇和下面的《笛》对照来看,文字风格的鲜明对比可以看出一个作家凛然的资质。 文中那一段关于流水的议论,和小说《流れる》中的思想应该是一脉相承的。这篇文章发表的时候幸田文45岁,两年以后她失踪住进了花街。 姦声(かんせい) 幸田文
はじめてその男を見かけたのは結婚式の前々日、荷物をあちらへ送るときだった。婚家先は酒問屋だったからトラックや人手間に不自由はなく、なまじ見知らない運送屋に頼むよりはうちうちの者の方が気心が知れていて便宜がよかろうという計らいで、先方から寄越された人たちであり車であった。荷物の運び出されるざわめき、かけ声や手短な合図は十分時と処をわきまえている様子のうちにも、きびきびした若者の声であった。そのなかに一人、耳に障るいやな声があって、それは頭株らしく何やかや指図をし、また重い物をとりあつかうらしいけはいだった。声は男にしては高音で、俗にいう割れ声だった。おもちゃのラッパ、ブリキ製のあれに似た声だった。いやな声だなあ、とおもった。挨拶に顔を出さないわけには行かなかった。いずれも腕っ節のしっかりした若者だったが、ちらっと見たその男は一際目だって恰幅よく、黒いジャンパーにゴルフパンツのような半分のズボンを着け、もう年配であった。トラックの運転手だった。
私たちの新しい住いは店とは離れた地区にあったが、隠居所は店の構えのなかにあったから、結婚直後は儀礼的にも実際的にも姑への行きかいが多く、ははと向いあって話しているときにも、ふと聞こえて来る割れ声は私の神経にざらっと触り、またあれがいるなと意識させられた。
一ヶ月するとすぐに正月であった。店の人たちは年礼を簡単にするためにトラックへ乗って主人たちのうちを――三人の合資だったから――廻った。玄関は履物が格子の外まで溢れてしまっていたし、八畳の部屋は障子を外さなくては入りきれない人数でごたごたし、一番あとから運転手が履物を整頓しながらあがって来た。主人は私立大学をびりで卒業すると、さしたる希望もなくただ何となく外国へ留学した。七年をその地で過し商事会社にもいて、帰国、結婚した。大勢のなかで見る夫は人のいい鷹揚さはあっても、力の足りない顎骨のあたり、いたわってやりたいような風であった。親子二代とか三代とかいう番頭さんたちには商人の膏がかぶさっていた。天下太平、御代の春じゃという体の安逸と保身が、腰の低い慇懃さのなかでうんじょうしていた。若い手代たちはそれぞれ洋服にも羽織にも気をつかって、身だしなみよくちんまりしているが、規模のちいさい人生への期待に焦慮している様子がうかがわれる。蔵で働くものはまた、びりんとしたものをもっていた。昔風な特殊労働者かたぎを身につけているものの、新しい時代の動きにも刺激されているその混迷はあるにしろ、どっちみち体力をかけた日常は軽く扱いがたい根性をもっていた。見わたしたところごく平凡な全体が私たちの新居の客間で、平和に新年の祝杯をあげていたが、異彩は彼であった。
どこのうちでも運転手の席次は低いものであるらしく、ここでも彼は末座にいて、例の声をあげていた。彼の元旦の盛装は異様にりっぱである。猫のごとくしなやかに、ゆかしいほどにも黒いモーニングの生地はあちらものと思われ、仕立ては労働者の筋肉を蔽ってまことに高級紳士向きである。真っ白なカラやカフスから出ている皮膚はきめあらくあれていたが、何よりも体全体の厚みがものを云って堂々たるものであった。私ははじめてゆっくり彼を見た。太い猪首はカラで締められて肉の段々をこしらえてい、硬そうな耳、顔の幅の三分の一を占める鼻と鼻の穴、黄色く濁る眼にかぶさるほど接近した濃い眉、眉から二指の間を保ったさきは生え際だった。上に行くほどせばまった顔にのっかった五分刈り頭は、光る毛もまじって地肌が赤かった。重厚な体じゅうのどこからも割れ声の原因は見つけ出せなかったが、妙にちいさいその頭に関係あるもののようにはおもえた。彼は爪先の細い紳士靴でトラックのアクセルを踏み、番頭さんも樽ころがしさんも一緒くたに運んで帰って行った。
その後私は自然にいろいろなことを聞き知った。彼の前身は満州のある馬賊の一の子分であったこと、銭湯で見る太ももの凄い刀痕はその時代のなごりであること、満鉄の何とかいう人の奥様にひそかに及ばぬ恋をして、それがまたえらく深刻にプラトニックなもので、その人が内地へ帰るともう寂しくて矢も盾もたまらず、脅迫をくぐりぬけて馬賊を廃業し内地へ帰って来てしまったこと、そんなまことがましく嘘っぱちらしい話などを知った。蔵の働き手たちはプラトニック・ラブが大好きであった。自分たちの理解以外の非常に神聖な色事としてあこがれてもおり、またそれをむざんに踏み破らせることの想像はこの上ない昂奮らしく、残虐嗜好がありありと見えていて、自分たちのするついた離れたの情事より、はるかに楽しい話題らしかった。彼の恋を私は、なんだか聞かせらしいと云うと、彼らはまじめに、「だって御覧なさい、あのおかみさんは帰ってからもらった人だから、子供たちはおとっつぁんの年にくらべてこまっかいのばかりうじゃうじゃしてるじゃありませんか。あいつは諦めきれないでそれまで独身でいたんでさあ」と証拠のように話した。
運転手というものは荷物を積み下ろしして運搬する、決してそれだけのものではなかった。彼のメモは膨大にして明細である。積荷の埃のなかに営業成績の大体を計上推知し、主人番頭のからくりの秘密をつかみ、同時に蔵の誰が小遣いに不足して新荷の樽へ錐を立て何升どこへ流した、などという微細なことまで腹に書き留めていた。その上同業のルートは網の目のように発達し、顔の馴染はどこにもあった。彼は店内の誰とも特別親しいという関係を作らず、一種の強さを見せ、ひとりいることを誇りとしているらしかった。
朝出勤して来れば、きっと隠居所の窓の下へ来て先代の老夫人に挨拶し機嫌をたずねた。年をとった母というものは昔が差別なく大事にしなくてはいけない、という主張には全くの情がこもっていると人はうなずいたが、私はきざだと思っていた。主人たちにはまたそれ相応なやりかたをする。自分は学問のない人間だから云うことに値打ちはないだろうが、と前置きをして人前でその私事をあばき、忠告めかしてがさつにしゃべった。番頭たちにはすべて揶揄とおちゃらけで通し、若いものには天下の風雲にあわせて新家庭建設の手段を説く。蔵のものには尽きざる猥談を聞かせ、聴くものはまたあれかと思いながらつい口をひろげて笑ってしまうという。そして女中たちには絶対に親切だった。「あら、さんまたが壊れちゃったわ。」「よし、おれが直してやる」「困ったわ、この煉炭重くてもてない。」「いいよ、おれが持って行ってやる。」彼はまた、おしゃれであった。包装のわらごみにまみれ自動車の油に汚れ、疾走の砂埃を浴びていつもきたない。きたないを承知の上で、きたないまま気取っている。胸からたすきになった労働着のだぶだぶへ幅の広いベルトをきっちりと締めるのは、肥満を美化する最上の手段だった。鼻の両脇にどす黒くたまった埃の顔へ、光線よけの青いひさしをちょいとずらしてかぶるのは、狭い額と小さい頭を偽装するに効果十分であった。彼の自慢は自動車だったが、それにもおしゃれが現れていた。主人に買ってもらったのは部分品だけだというが、全部彼の組立によるもので、塗料まで自分手に塗ったという。グリーンに白線をあしらって、見るからに小粋に、しかもがっちりしていた。「肥えたご車にゃ乗りたくねえ」と云っているだけに、なるほど都会のトラックだった。
住いもまた彼の手になるもので珍奇であった。普通のおんぼろ二階家をちょんぎって、したを広い土間にし、柱代りに払い下げのレール数本が二階をささえている。土足でハシゴをあがった処はぴったりとドアで仕切り、ドアには小さい覗き穴がつけてあり、天井からのあかりは客の姿をくまなく明るく浮き上がらせるだろう。柱には呼び鈴のポッチが赤く、壁には夜間受付とした郵便受けの口が切ってある。家族は二階住いをし、炊事場も便所も彼一流の簡単なやりかたで階上にとりつけてあった。細君ははなはだしく糟糠の香気を発散させている優しい母型であり、ドア一重の内側は子供と散乱でいっぱいである。そのなかで眼を奪うものはベッドであった。彼だけがベッドで眠るらしく、壁際にこれもレール製のが据えてあり、うらぶれた室内の様子とは不似合いな花模様の夜具がかかり、頭の上にはオレンジ色の豆電燈がつくようになっていた。
「云いだすと何でも思うようにしなくっちゃ納まらないたちでして、きっとお店へ伺いましてもさぞまあ」と細君は、ベッドに唖然としている私に云った。
「器用ねえ」と云うよりほか、ことばは出なかったが、ひとのいい人間の常で夫の能力を遠慮しながら誇り、スプリングもみんな自分で気に入るように作り、パッキングは高級車の古を使って馬毛だと話した。
私に二度の春秋がまわった頃、店は砂の漏れるように崩壊の道を辿っていた。番頭たちはとうに老齢を盾に、店に見切りをつけて退身隠居していた。怠慢な主人たちは急にあくせくしはじめた。彼はだんだん主人に針を含んだ物腰を示し、それは情ある注意忠告ではなく侮蔑であった。夫よりも私の神経がそれに余計に刺激された。ついに店はどんづまりに詰まって、製造元の大きな会社に併呑されて終りを告げた。夫は離散の悲しみも上の空のように、あたふたと明日の糧の心配をしなくてはならなかった。外国での知識を活かして新しい商法で立って行きたいと口では云うものの、新生命をひらいて行くだけの旺盛な事業欲は無いらしく、会社が長年のよしみに従来の品物の取り扱いを無条件で許してくれたのを力にして、ごくごく小ていな小売り業になって凌ぐことにした。とにかくなんでもかでも一つの業にとりついていれば、それで辛くも飢えないだけの米は得られたし、足りないところは人も気の毒がって援助してくれ、私の実家もまさか見殺しにもしなかった。
怖じた中年の男の心は気の毒であった。夫は一ヶ月二ヶ月と過ぎるうち、だんだんに気力を喪失し、どうやら飢えずにいるということすらが元気を削減する原因になり、ただただ今日に馴れてずるずるとしていた。そうなると体力のともしい意志の薄弱なものと、懸念ない肉体、逡巡せぬ実行力をもつものとの差は大きかった。彼は会社と新しい雇用関係を結んで一日もむだをしない。こちらとは相変わらず行き来があったが、つきあいはしばらくすると全く対等になり、その後彼が上まわった素振り態度に出るようになってきた。私がいやでたまらないのは、私の前で夫に猥談をしかけることだった。虚弱な夫をもつ中年の女は、およそ女のなかで一番動かしやすい女であること、夫のあることはかえって秘密を保ちやすいこと、遊戯は秘密によって一段とおもしろいことを、満州仕込みだか何だか、例の割れ声をわざとひそめて話すねつこさ、ふむふむと聴いている夫にも腹が立った。
夫にひきかえて私は、その日その日の現在から何とかして脱出して行きたくてやりきれなかった。土くれをほうり込んで埋めてしまえば形のなくなる溜り水のような夫と、火にたぎれば蓋を押し上げる釜の水のような妻と、どちらにも土くれにあたる事情、薪にあたる事柄は次々と重なって行った。将来ともにためになる筋へは気伏せがって行かず、なんでも一時凌ぎができさえすればから、夫は差し迫った金を旧運転手から借りてくれと云う。それは私の誇りが許さなかった。けれども夫はほかに道がないようにしつこくせがんだ。私にすてばちな心持が動いた。――そんなに云うんなら、三文商人が馬賊に金を借りるのは釣合った組合せだ、よろしい、借りましょう。沸騰がまっさきに自分を焼けどさしているとは思わなかった。
彼は二言と云わせないで金を持って来た。そのとき運悪く夫はいなかった。私は火鉢の猫板の上で夫の名で受け取りを書き捺印した。
彼はそれを丹念に改め、「あんたの名じゃないけど承知なんだからまあいいや、書き直すのも面倒だから」と、インデン三つ折の立派な紙入の底へ書き付けは丁寧にしまわれ、いまさら私は気持が悪かった。それから彼は膝を崩してあぐらになり、「あんた、おひるは?」と云った。
私はむっとして横を向いた。のとろに平ったい神経でないと負けると気をつけながら、なめるないという気が三角形にとんがった。
彼は外へ出て行くと間もなく紙包みを持って帰って来た。火鉢の向う側の主人の座蒲団を、ずっと後ろへ押しのけて坐ると、ばりばりと袋を裂いた。出て来たのはジャミパンと称する、あやしげな赤いぬるぬるをくるみ込んで焼いたパンだった。二つにちぎった断面は爬虫類の胴切りを連想させ、穢という感じだった。小さくちぎってたべているうちはまだしも、わんぐり食いつくと口の端に赤いぬらぬらがみゅっとはみ出し、それにかまわずぐんと食い切って、くちゃくちゃやりながら舌は悠々とその辺を舐めずった。見るにも堪えず眼も放されない不快に辟易しているところへ、彼は云う。「二人で一緒にたべましょうや。おごるつもりで余計買って来たんだから、遠慮なしにどうです。どうせ旦那は出かけてるんだから昼飯はパンとしゃれた方がいいでしょう。」
何がしゃれているんだか見当もつかず、いくら薦められても会食の欲は起こらなかった。一人でさっさとたべるだけたべ、残りはくるくると包み、ことわりもなく茶棚を明けると、がしゃがしゃと押し込んだ。我慢がならなかった。「いやよ、そんな処へ、私たくさんだから持って帰って頂戴よ。」
「まあ、そう云わなくても、ね、あんたにたべさしたいから買ったもんだ。今いやならおやつの楽しみにしたっていいからさ。」たべさしたいとか楽しみにしろとか、そんなことばを聞かされた恥ずかしさ。自分にもわかるほど怒りがどっどっと波うった。
「私はお金は借りたけど別にひもじくはないのよ、持って帰ってください。」せき込む私に眼も向けず、「お茶一杯恵んでください」としゃあしゃあして、鼈甲に金でイニシャルを置いたケースをぱくんとあけて、中はバットである。やけに熱いはずのお茶もちっとも感じないらしく、ごくりごくりと飲む。
書は遅渋(ちじゅう)を貴ぶと父に教えられたことがふと思いだされた。こんな時に思い浮かべる父のおもかげは、悲しいほど懐かしいものだった。無言で伏し目になった私をどう思ったものか、彼は慌てて没落の悲運をくどくどと慰めたが、結局云わんとするところは、いかに自分が実力ある男かという宣伝であった。敏感な神経などというものはこんな際何の足しにもならず、むしろ敏感な神経があるからこそかえって余計にいやな思いをしなくてはならなかった。私はとうとう父にその話を打ち明けて訴えた。
父は私の話を聴いていて、引出しをあけ、黙って金をくれた。そして、「おまえは重い女だね」と云った。
「重いって何です。」
「何だと訊くようじゃいよいよ重い。おまえの心が居しかっているから物が滞る。水の流れるようにさらさらしなくちゃいけない。」
もっと具体的に訊いてみたい話だったけれども、さらさらと流れる話をしつこく訊くことはできなかった。父の調子には、そんなことぐらい自分で考えろ!といったものがあった。
借用証は金とひきかえに取りかえした。彼は腑に落ちぬ顔をしていた。間もなく私はさらさら流れるものを身辺に汲み知った。下町の女には貴賎さまざまに、さらさら流れるものがある。それは人物の厚さや知識の深さとは全く別なもので、ゆく水の何にとどまる海苔の味というべき芳しいものであった。さらりと受けさらりと流す、鋭利な思考と敏活な才智は底深く隠されて、流れをはばむことは万ない。流れることは澄むことであり、透明には安全感があった。下町女のとどこおりなき心を人が蓮葉とも見、冷酷とも見るのは自由だが、流れ去るを見送るほど哀愁深きはない。山の手にくらべて下町が侮り難い面積をもっているのは、彼女らの浅く澄む心、ゆく水にとどまる味に負うとさえ私は感じ入った。
それにしても割れ声は、よくせき私に合性がよくなかった。俄仕込みの流水式なんぞあってもなくても、彼がごろた石のごとくでかんとしていることに変りはなかった。品物の配達以外に始終やって来て、主人がいない時にはきっとものをたべて行く。近所から五目そばとかトンカツとかを取り寄せてしきりに薦める。通いで来ている小僧に私はさりげなくその場でたべさせてしまう。それもいないときは、「のちに皆で一緒にします」と云って取り合わない。いくらしゃべりかけても私は私のしごとを続けている。ごみ屋と屑屋の意趣晴らしなどの話を聞かされても、事柄の愚劣、話しぶりの下等さにひっかかって、こちらがいやな気持ちにされることは無いようになった。
明らかに嫌われていると知っていながら彼はしげしげやって来た。それで私にびりびり感じられるのは、彼が私をぶっこわしたがっていることだった。性の合わないものへ取っ組んで、相手が抵抗すればするほど挑みかかりたい気があるらしく察せられた。私はときに、いっそ挑戦したいほどな腹立たしさに駆られた。あっちも荒々しいものを見せつけて憚らない様子だが、私も荒々しい反撥を隠さなかった。神経衰弱的に世間怖じ人怖じた夫は妻の訴えを聞いても、まさかと云うばかりが返事で、妻を安全に保つための用意を考えることは更になかった。心身ともに現在から少しでも上に這い上がりたく、米に追いまわされ、遅渋と流水との間をまごまごしながら私は、きっぱりした拒絶はいろんな拒絶の方法のうちでも品位の最高なるものだと思い込んでいた。
八時過ぎだった。ぬっとはいって来た彼は、びっくりするような顔をしていた。片頬が紫色に腫れ上がって眼が細くなっていた。大勢を相手にした喧嘩の次第を話し、話につれて昂奮は激しくなり、割れ声はかすれて聞き取りがたかった。休息の夜を乱されてうんざりした私は、彼を夫にまかせて銭湯へ逃げ出そうと思って、鏡台の前にいた。鏡のなかには彼が映っている。「あいつら、こんだ出っくわしたら最後、車の下へ呑んでやる。おれが運転手だってこと忘れやがって、畜生、ぐうっとこう。」
鏡のなかの厚い胸とむくれあがった頬が、ぐうっと私の上へのしかかったような錯覚を起こさせた。なんとなく湯へ出かけるのもこわくなる。文明の利器はすなわち凶器だというが、彼はトラックのタイヤを考えている!ああそうだ、芝居の時平公だ、轍にかけて敷き殺せ!といばるあの恐ろしさだ。たとえ一時のもののはずみで云ったことばにせよ、この三角形の頭の内容は恐ろしいと認識しないわけには行かなかった。その後何事も起こらずにあざは吸収し、彼はけろっとその話に二度触れなかった。
袷になったばかりの午後だった。私は使いにやられ、帰途家近くで、久しく会わなかった従兄にぱったり出会った。従兄は若いときから生活苦に追われて堪えぬいた経験をもってい、その語る同情にも忠告にも切実な、眼のさめる想いがあった。私は偶然の機会をむだにすまいと、話し話しゆるく歩いていた。そこはかなり人通りのある横町で、片側に日があたっていた。と、だしぬけに感覚を断ち切って、一つ雷のような名状できない音が、わ、わ、わんと耳を痺れさせた。眼の前に蜂の巣のようなトラックのラジエーターがあった。とっさに私は従兄に庇われていた。そしてラジエーターと私たちの間には電柱が一本立っていた。何がなんだかわからなかった。
「驚きましたかあ。」運転席から割れ声がばかにしたように笑った。車はバックして、さっさと走り去って行った。
たちまち、事故?と集まったいくつもの怪訝な顔は、またたちまちつまらなそうに散らかったが、従兄は、「変だなあ、なんだかいやな気持だったなあ」とくりかえし、私はすっかり固くなった。機械的な事故でなく、過失でなく、意図をもってしたいたずらに違いなかった。気がおちつくと、なまいきに筋を運んで来たなと負けじ魂が起きあがっていた。
数日後、夫はもうかれこれ帰宅する時間であり、私は風邪気味で二階へあがってしまっていた。子供は姑の家へ泊りに行っていなかった。店には十五になる小女がいたし、着たなりで横になってとろとろしていた。店のガラス戸が明いたように聞き、帰宅したなと思ううち、また戸の音がして完全に覚めた。あがって来たのは夫でなく小女で、いま運転手が来たがお風邪だと云って返しましたと報告した。ほっとした。いくほどもなく、また戸が明いた。待つ心は夫だと思いこんでいたから、錠をさすはずだがなと聴く耳へ、どきっと割れ声が入った。ここへ来られちゃたまらない。とっさにそれを思って、こちらから出て行くが得策だと立ち上がると、頭がぼんやりしていた。頭痛止めのミグレニンが利いていた。
彼は土間にいて、商売物の樽の飲み口をひねっていた。かぶとのお客へ使うコップで一気に煽りつけ、もう一杯ついでこっちを向き、私を見た。「あんた風邪だっていうじゃないか、寝ていてください。」
編みあげの紐を解きにかかるのへ制して、「今夜は気分が悪くってとてもつきあっていられないから、悪いけど帰って頂戴」と険しく云った。
「じゃ旦那が帰るまで店番してあげるから、あんたは寝てください。」
「人にいられると思うとゆっくり休まらないから、帰ってもらったほうが勝手なんです。うちももう戻る時間だし。」しつこく帰れと私は迫った。
「帰れなら帰るけど、あああ。」
彼は立ったままの私を見あげ、私はすでにびりびりしながらはっきり見おろしていたが、無視してあくびと伸びをし、立ちあがりさま無遠慮に、「ああ酔った酔った」と息を吐いた。気味の悪さにむかむかして、もし寄って来られたらとそればかりが気になって、そのときは表へ飛び出そうと用心に私はガラス戸のほうへ動いた。
「一杯呑んだら眠くなっちゃった」と云って、ぼりぼり頭を掻いていた彼は、ふっと身をかえすといきなり、ととととハシゴをあがってしまった。意外だった。隙に乗じられてしまった。二階ではどしんと寝ころがる音がした。いったん騒いでしまった思慮はすぐに立て直らなかった。不覚にも身を置く位置をばかり考えていた結果がこれだった。
小女と私は顔を見あわせたまま術なく立っていた。と、何だかいやな声が聞こえて来、続いて、「洗面器洗面器、吐きそうだから早く早く。」
おろかに私は吐物の汚穢のひろがりにふるえ、燃えるように腹が立った。手をかけて引きずり出したさで二階へ走った。彼は私の枕に寝、私の小掻巻をかけていた。見るより早く、ぺっと引っ剥いだ掻巻が私の手にあった。「帰んなさい。帰らないと人を呼びます。帰んなさい。」
新聞紙とバケツを持った小女が敷居に立っていた。
「きくや、あんた私と一緒にいなくちゃいけない、下へ行っちゃいけない。」バケツを持った小女は気を呑まれて部屋の隅へ立った。
嘔吐なんて嘘の皮である。全身で私は、ばかにしやがってと煮えたぎった。遅渋の兜も流水の盾も忘れはてていた。向うはてれた薄笑いをし、案外おとなしく起きあがり、バンドの金具をきらりとさせてズボンをゆすり上げた。私は怒りのことばが効果あったことと思ったが、その甘い考えかたは即刻にけし飛ばされた。ざっと寄られ、まむきに胸がくっついていた。バケツが音を立てた。
「そこにいて、きく、そこにいて。」
強引に抱いたまま彼はみずから後ざまに、蒲団の上へころび倒れた。倒れた処は蒲団を半分かた外れて、くずかごと四ダース入りのビール箱をかねに置いた隅へ頭を突っ込んでいた。足は彼の両足の間に掻い込まれて自由でなかったが、ころぶはずみに上半身は抱かれた腕から乗り出し、片手は自然向うの喉にかかっていた。ぴたっと相手の胸に重みを沈めると、胸から男の鼓動ががぶりがぶりと伝わった。シーツの木綿に爪先の力を与え、じりじりとのしあがって締めて行くと、さすがに苦しがってぎょろりと眼を剥いた。けれども着物は非情である。袖・褄・八つ口は括約しない、彼我共通に開放されている。噛みあいは人を噛むかわり自分も噛まれる。こちらの手が喉をせめていれば八つ口は彼に役立っていた。攻防一時に行うことは力量の差があってはなし得ないものである。しかし、堪えることや無感覚になることは防の一種である。彼は私にこういう腕力的な反抗や、脆くない忍耐があろうとは計算しなかったろう。ぎょろりと眼を剥かれても私は罪の意識も何もなく、恐ろしくもなんともなく手に力を入れていた。
八つ口の忍耐が崩れた。同時に顔が向うの顔へ押し付けられ横にころがされ、私の攻勢は失われた。一瞬前の姿勢は彼の頭の下の畳の固さが私に味方してい、いまは私の頭のうしろのビール箱が彼に味方していた。もがくだけの空間もなかった。唇が求められ、頬と頬がずり合っていた。徐々に防ぎきれなくなるということは無慚である。悲しいことに私は左右の握力がうんと違っていた。自由なのは左手だけ、それもほとんど手の先だけしか動かせなかった。できるだけ畳へ顔を伏せ、自分の手で自分の唇をおおったが、そんなことは何でもなくねじ向けられた。頬が頬を擦って来る。私の親指は乏しい握力の限りを、相手の唇の中へ突きこんでねじろうとした。ぬるぬるしていた。
いつか足が自由になっていた。しかし二本一緒に押えられていた足は安全であったが、自由になった足には虚があった。蹴飛ばした効果より裾を割った損失は大きかった。向うの片足が膝こぶしの間を越そうとしていた。唇を避けるためには相手の頬に密着しなくてはならなかったと同様に、裾を割った両足は渾身込めて、割りこんできた相手の一本に膠着しなくてはならなかった。半ズボンをとめる留め金が、ぎしぎし膝にこたえた。闘いに周囲の事物は非情のものでいながらに、かならず敵味方の色に分かれるものだろうか。しかもそれは時々刻々に変化する、いま味方だったものはすぐ直後に敵にも役立つという風に。彼の薄い毛糸のジャケツは手応えなく伸縮して彼に忠実であり、私の着物は情らしい手応えを残しはするけれど、淫奔にずるずると崩れた。胸と顔と裾は交互に襲われ、衿も褄もむしられた。むしられてははだかって行くことを意識がちゃんと知っていた。肩が脱げ膝が剥きだした。ちらっと向うのズボンがずり落ちかけていることを見た。
それからだった。ひた闘いにたたかった。物ががらがらと落ちた。何でもへ足で突っ張り、手で突っ張った。歯も爪もぎしぎしして、むちゃくちゃに抵抗した。腕がねじ上げられて、ふっ、ふっと息がちぎれる痛さだった。あっちもこっちも痛くされた。痛いからもっと夢中で暴れる。暴れて着物はいよいよ引ん剥ける。裸なんぞ何でもありはしない。裸!とおもう一瞬のことである。たとえ裸と裸がどんなに絡みあおうと、もうどうで大したことはないのである。けれども裸の皮膚のもう一つ内側には、私のなまというものがある。皮膚は洗えば落ちるが、なまはなまだからしみてしまう。しみるなまに較べればしみない皮膚の価値なんか何ほどのこともない。今まだ全く保たれているその私のなまが、金輪際彼はいやだとがんばり通している。ただそれだけなのだ。なまという平生は身体の器官の一つにすぎないものが、この場合私の心に直結しているものだった。二つとは欲張らない、一つだけのこと、――この男にはいやだという一つだけの心であった。
夫がコートのまま、立ったまま、「よせよ、おい、よせよ」と云っていた。彼が私を棄てて、すっと立った。半ズボンが膝のびじょうまで裏がえしになって落ちてい、それをずっとたくしあげると悠々と無言で出て行った。狭い入口に立った夫とすれすれに通って。
私はすわったが、髪はざんばらであり、姿は全裸よりすさまじかった。帯は解けていたが腰に巻きついていた。着物は引きしおられて片寄っていた。袖つけは裂けていた。最もしっかりしていたのが腰紐と帯あげであった。こま結びというものは絶対に強い。着物も襦袢も肌着もこの二本の愛すべき赤い小紐によって、辛うじて身のまわりに束ねられていた。束ねられてなまじ体にまといついているだけに、全裸よりもっとすさまじい姿なのである。いまはこの着物は何もかも不潔だった、不潔におもえた。そして、とにかくやはり裸を蔽ってほかの着物を着なくてはならないのが第一だった。赤い紐はきつく結ばれてなかなか解けない。ふと半ズボンのずれ落ちた彼の姿が浮く。メリヤスの厚いズボン下を着けていたのが小ぎたなく貧乏くさかったが、思い出になったその姿にはなにか非常にばかげたものながらユーモラスな影があった。それにひきかえて、あのとき夫の方を見て起きかえった自分の姿には、醜さといっしょにひどく惨めなものがあるだけという気がする。しかし、感情より感覚はもっと切実な力をもっていた。なまは全き姿で保っていても、なまの一重外側の皮膚は、どこもかしこもよごれたという感じがたまらなかった。しかも私は全力を尽くして闘ったつもりなのに、彼の方はきっとうんと加減をしていたろうと思うのはたまらなかった。私は小銭を掴んで、あたかも銭湯へ急用ある人のように早足で出て行った。一体これは何だというんだ!
どうしてあのとき私は助けを呼ばなかったか、苦痛を訴えなかったか、不思議と云うよりほかない。それにあの小女は!
「私、はじめ泣いちゃったんです。それからぼんやり見ていたんです」と。今このひとは幸福な母になっている。盆暮には来て、きっと「あの時はねえ」と話して、その時の自分を不思議がる。二軒長屋の隣が壁を叩いて、どうしたんですと声をかけたのを知っていたのにと云う。
(昭和二十四年六月) 笛这是幸田文少有的一篇,充满了哀怜之意,或者说“日本传统的美感”的小说。在哀怜背后可以看出的是强健的精神和理想主义。
也许这可以和『冬のソナタ』对照来看。从各个方面来说电视剧都是比不上小说的,不过这纯属个人意见。 笛 幸田文
ええ。七重(ななえ)とはおもしろい名まえだと、よくそうおっしゃられるんです。
小学校のころは別にどういうこともありませんでしたが、女学校へはいるとたんでした。すばらしい名だ、かわいい名だとお友だちのお兄さんがたまでが褒めるので、うらやましがられて、名美人だなんて陰口まできかれたくらいでした。
若いときはいろんなことが気になるものです、私は自分の名で相当な気の揉みかたをしました。卒業後はぽつぽつ縁の話があるのですが、そのたびに相手の人は七重という名を何と思うかと、それが心配なのです。なんにも云ってくれない人には、すっぽかされたような呆気なさと不満足を感じます。是非「七重」という名の私でなくても、どこの三重子八重子でも間に合うつもりなんだろう、そんならなにもこちらでもこの人と限ったわけじゃないと、ひがみ根性がでます。かと云って真正面から、七重という名からして気に入ったが、会ってみてよけいいいと思う、などと云われてはやりきれません。そんな野暮ったい押しなんかは願い下げにしたいという気になります。要するに私は女学校以来、いつとなく自分の名で気むずかし屋になっていたらしいのです。一方では七重という名が重荷になっているし、また一方では大層その名が好きで大事にしているといったところがあり、そのためにああ云えばこう、こう云えばああと、自分から気むずかしくしている恰好です。
そこへ主人という男が出て来ました。出て来たというより、まえから手近にいたのです。父の郷里の人の息子で、父が保証人になっていました。ですから学生のうちも就職後もずっとよく遊びに来ていて、まるで従兄みたようにしていたので、手近すぎてかえって恋愛とか結婚とかの相手になど一度だって考えたことありませんでした。私は身のまわりから外へ外へと結婚の相手を探っていたと云えます。でも恋愛や結婚は、二人の問題で一人だけの問題ではありません。いくら私が彼を度外視していたとしても、もし彼のほうが私をどうこうの対象にしていたのなら、話はまた別だったかもしれませんが、彼のほうも私を妻になど考えていなかったようです。見なれすぎていて、恋とか結婚とかへの盛りあがりがなかったのでしょう。それが、入梅のびしょびしょ降っているある日、茶の間の出窓のところで、私の名について話したのがもとで、急に二人ともとととっといきなりに恋が生じ、結婚する気になってしまったのです。恋に落ちる――といいますが、あのことばは私には実感があります。
そのときもはじめは、彼が私をからかって駄弁っていたのです。「君はどうしてそういつもいつも、自分の名のことで文句ばかり云うんだろうなあ」といった調子でした。いつだって彼が私とおしゃべりをして、云い勝ったことはありません。私は云い負かされたおぼえがありません。しかも事もあろうにそれが始終おもっている名まえのことでしたから、私は何を生意気な!といった気もちでかかって行きました。無論すぐしどろもどろ、「これはただ僕が思うだけのことだけどさ」と逃げ足になりながら云うのです。私はそういう彼の態度が嫌いでしたが。――八重という名の感じは好もしい。賑やかに花やかにたっぷりたくさんあって、そのゆえに鷹揚で上品で、色は影ふかく匂いはこめられてこの上なき美しさだ。一重も好もしい。重なるもののない清々しさ。はにかみをさえ持たないで、匂いも色も包もうとしないその素直さは、神に通じる高い位がある。三重もいい。安らぎがある。薄くなく厚くなく、いわば「きまった形、崩れないかたち」が連想される。三重は安定を連想させる。七重も美しい。が、八重には一重足りない憾みがあり、三重には多すぎて、崩れの虞があり、一重の清さには及ばない。「君はきっと、そこだけしか考えないから、それでいらいらすねるんじゃない?それにもっといけないのは、自分で七重って名がかわいいと思ってるくせに、なぜかわいいか理屈が見つからないので八つ当たりになっちゃってるんだよ。まあ、僕のこと生意気だっておこるだろうけれど、すこし謙遜になってみないか。僕はね、八重も三重も一重もいいと思うよ。思いはするけれど、僕らには無関係な遠々しさなんだ。好もしくはあっても縁がないような気がするんだ。だって、八重にしたって三重一重にしたって、もうそれ自体ちゃんとできあがって完成している感じだもの。僕らみたいな若造がどんなに一生懸命になったって、八重の上に何が重ねられるっていうのかしら、何を足したら一重三重がより立派になるのかしら。僕らが、というより男の誰かが一生懸命になって、一重を献じるとやおら美しく八重に咲く。つまり誰かが努力する余地の残っている美しさ、とでも云うかな。おそらく七重って名はそんな気もちで考えられたんじゃないかしら?きっとこの名は君のご先祖さんの、――そうだな、女性が考えた名でなくて、男性が考えつけた名かもしれないな。」
七重というのは私の曾祖母の名を採ってつけられたのでした。ですから私が両親に、「なぜ七重なの?」といくら訊いても、「あなたのおばあさまが是非お母さまの名を継がせたいとおっしゃったからよ」とだけなのでした。その名を考えた人は曾祖母の父母でしょう。七重が曾祖母の名だとは知っていまししたが、そんな遠いひとが何を考えてつけた名か、私は思ってみたこともありませんでしたから、急に彼に思いがけないことを云いだされて、へんな気がしました。茶化すことなど忘れてしんとしてしまったのです。それになんと云っても、謙遜になれと云われたことと、誰かひとの力を一重加えてもらってはじめて八重になる余地が残されているのが七重なのだと云われたことは、利いていました。持前の負けなさから、「なるほどと云いたいお説ね。一重に重ねる二重はなく、三重に足す四重はないし、七重は八重に次ぐ、というわけでしょ。でももし五重という名があったらどうなるの?」と、理屈にも何もならない悔しまぎれの憎まれ口をききました。
彼は、「それだからいやなんだ、君は!でも考えなかったな、五重ってこと」と、そんな、それこそ聞いたことない名でしょ五重なんて、それをすぐそこに存在する名として考えてるんです。そういう馬鹿まじめな人なんです。これが私と彼の結ばれたきっかけです。
その日終日、私はおちつけませんでした。ひどく悔しいようでもあり、なにかさっぱりしたものが徐々に出て来るようでもありました。そして翌朝眼が醒めたとき、ほのぼのと彼を恋しくおもっていたのです。眼が醒めた仰向けのままに、恋しいとおもいました。恋しいと思ったのに、恋しいだけだなくて、どっとせつなさが押しかかってきました。涙がやたらと溢れ、両方の目尻からこめかみ、こめかみから耳へとあとからあとから伝わって、枕カバーへ落ちます。音がしました。涙の雫は明瞭に、二度三度ぼたぼた……と、かしがっていたのでしょうか右の耳へだけ聞こえました。あとはもう夕立のように、あたりにものの音もなく泣き入りました。彼のほうにも私同様な現象が起きていようなどとはまったく考えられずに。――
彼は一週間目にやって来ました。私は数えて待っていましたから、それがきっちり一週間目なのは間違いありません。一眼見あわせたとき、両方ともそこに愛情が生れていることを承知しあいました。
夏のあいだじゅう、私はかっかと眩しく燃えていました。そして秋早く、両親はじめみんなに祝福されて結婚しました。すでに一重がそなわって八重に咲いたつもりでした。女盛りの色も匂いも深く八重に畳んで、おっとりと、われながら満足な日々でした。満足な日の上に満足な日が重なれば、満足よりほかに出て来るものはないはずです。それなのに、ちょうどあの朝、恋しいとだけ思ったのに、恋しいだけではなくてせつなさが一緒にのしかかってきたように、満足の重なりの上には不足の兆しが見えてきました。「恋とは、これだけのものでしかないか」とか、「結婚なんてそんなにすばらしいものじゃなかった」とか、「やはりこのひとは平凡な人だったんだ」とかいう不足です。しかしその不満がひどくならないうちに妊娠したのは幸いでした。生れないさきに、もう名の心配です。
「男の子でも女の子でも、どうだろう五重というのは?」と夫が云いました。私もそれを考えていたので、二人とも噴出しました。
安産で男の子でした。平凡な謙(けん)という名がつきました。新しい生命は、その母親にいたずらな不平不満を云わせるひまを与えません。私はそれからそれへと謙に追われます。でも時には、恋とはあれだけのことか、結婚とはこれだけのことかと食いたりない寂しい気はします。だいぶ諦めがついてきて、謙がさらにしっかり諦めの蓋を押えつけている気味があります。
育てかたがへたなのか、謙は故障など一つもないのにか細い子でした。幼稚園へあがると、この子は実にあきれるくらい次々と、いわゆる学校伝染病をしょい込んで来ました。おたふくかぜ、とびひ、はやり眼、百日咳という具合です。そのころ主人は会社での位置も多少は認められてきていまして、直属の上役に子供の病気のこぼし話をしたそうです。するとそのかたもお子さんがひ弱で困った経験があると云って、いい先生を紹介してくださいました。開業医ではなくてお勤め先へ行ったのですが、いかにも小児科医らしい福々と柔和なかたで、謙はしばらくすると見違えるように活発になってきました。この調子で冬を無事に越したら、来春からは健康な子になれるだろうと親心が起きます。冬は謙にはいやな季節なのです。凍てつく真夜中に突然しくしくと、夢うつつに泣きだしたりして、気がつくとびっくりするような熱を出しているなどは珍しくありません。吐きくだしもよく夜中にやります。夜中に先生を招く心労は親も先生も並大抵ではありません。何度もそうした苦労を嘗めている私たちは、その冬を特にこの先生にすがりたく思ったのでした。さいわい住いはそう離れていませんでしたし、そこへ会社の上役が智慧をつけてくれました。
「あそこの奥さんはいい人なんだよ。女は女同士なんだから、一度君たち夫婦で住いのほうへ顔出ししておいたらどう?」――折から年末でもあり、そういう挨拶にはちょうどいいので、会社帰りの主人と寒風のなかをお宅へ伺いました。
てっきり不在だろうときめていた先生が在宅で、私たちは目的の奥様とはほんのちょっぴりしかお話できず、あらためて先生の柔和な顔や如才ない態度、機智のある会話などに感心し、かつ開業医ではなくともお医者様とは噂通りに随分内福なものらしいと、調度品を眺めわたしたりしました。ちょうど時分どきですから、長くもいずお暇することにしました。先生は「おいおい」と奥へ呼び声をかけ、「寒いから家内がいま何か温かいものでも支度していましょう」と云われるので、そう聴くとなおのこと、おちつきなくご挨拶をして玄関へ出ました。夫はもう靴へかかっています。私は小さい包みを壁際へさしだして、送りに出ていらした先生をちょっと振り仰いでお辞儀をいたしました。そのとたんでした。先生が私のほうへ微笑の会釈をしつつこころもち顔を奥のほうへそらせて、「おい、何してるの。お客様お帰りなのに、いつえ、おい。いつえ!」と云われたのです。
思わず私は、はあともへえともつかない声を出してしまいました。ぎょっとしたのでした。私がぎょっとしたので無論先生もはっとなさり、あわてた私が助け船を求めて主人を見ました。
「失礼ですが先生、奥様のお名まえはなんとおっしゃいます?」
「いつえ。変な名でね、一重でも八重でもなくて五重なんですよ。」
そこへ奥様も出ていらして笑い話になりましたが、ありそうでない名の七重と、まったくなさそうでここにあった名の五重とは、今後どうぞよろしくを云いあいました。外に出て夫は、「驚いたな」と云いましたが、私もめぐりあってしまった――というへんな興奮で、屋敷町の風のなかをつんつんと歩いて行きました。期待というか予感がありました。
その予感はみごとに当たりました。押しつまって私はデパートへ買い物に行ったのですが、エレベーターを降りたそこに、ぼんやりして五重さんが立っていました。私に気がつくと挨拶も何もなくて、「あら助かった。私の買い物見てくださらない?きめかねていやんなっちゃってたの。買わずに帰れば間に合わないし、見立てるのはうまく行かないし、――助けてくださるご縁なのよ、七重さん」と、これで一足飛びに、ただ一度の儀礼的な訪問しかないものが、お友だち同士の親しさになりました。
私は買い物で、買おうかどうしようかと不決断に手間取っていることなどない性格です。ほしいものの見あたらないときには、どこどこまでも捜しに行って見つけますし、また捜せないならないで適当に別の考えかたをします。ですから五重さんがこんなことを云いかけてきたのも、半分は滑稽だったし半分は驚きました。しかもご当人は至極のんびりしていて、私がたくさんの反物のなかから捜して、「これはどう?」と薦めれば、平気で「だめだわ、もっといいのない?」と云うのです。でもそれが微塵もいやらしかったり偉がったりはしていない、まあ子供のあどけなさとでも云いましょうか、こちらを惹きつける無邪気さなのです。やっと買い物が済むとほっとした顔つきで、今度は「お茶飲みましょう」です。
おかしくなって、心安立てにぞんざいな云い方をしてみます、――「この押しつまった年の暮だというのに、お茶など飲んでのんきらしくしてはいられないわ。私の買い物はまだ済んでいないのに!」
「ほんとにそうだったわ、ごめんなさい。私ついうっかりして、もう長いおつきあいみたいな気がしてたもんで」と、こうなのです。ですから三度目にはもうあちらの茶の間で、ご主人の留守の長火鉢を挟んで話すということになっていました。
どうも、することなすこと私とは違います。五重さんのまねをしたいと思うことがあります。でも私が五重さんのようにしたら、そこいらじゅう誤解だらけになってしまうでしょう。五重さんもよく、私のようにやりたいと云います。できやしません。それでいてお互いに、相手はこういうやりかたをし、こういう考えかたをするだろうということが、まったくよく察しがつくのです。世の中にもし実行ということがなくて、思うということだけで済むのだったなら、私たち二人は仮に入れ替わりになったとて不都合なく、あたかも五重さんは私のごとく、私は五重さんのごとくやりこなせるかもしれないと笑うくらいなのです。実によく察しがつきます。けれども七重は七重の位置、五重は五重の場所にいて、それぞれ反対なやりかた思いかたをしてつきあいは進みました。
交際が進んだと云ってもそれは淡々としたものです。よくあるように、親類縁者から友人知己のあらんかぎりの悪口を愚痴ってみせるというようなこともないし、主人の財力権力をひろげて自慢することもないし、まあ家事に関してとか、見たもの読んだもの聞いたもののことを話すくらいなのです。それらを通して、各自の人柄を見せあっている交際とでも云うのでしょうか。騒がしくないあっさりした交際でした。子供は先生のコーチですっかり丈夫な子になりました。私はもう一人産みたい希望でしたが恵まれず、五重さんは年齢も私より三つ四つ上だし、早い結婚だったのですでに三人の母でした。どちらの家庭も一応のまとまりかたをしているかたちで、平安でした。
ところが、いったい私はながく平安でいられない性質の女なのでしょうか、それとも一度心のなかに萌したことは終生消えないものだとでも云うのでしょうか。自分でも自分の生活が、平安でしあわせなものだとよく承知しているのに、平安だなあと感謝するとほとんど同時のようにして、例のあの、恋とはこんなあっけないものだったのか、結婚とはこれだけのものだったのかという、若い日の不審不満がもやもやしてくるのです。そうなるとそれが気になって、絶えず問題をそこへひっからめたくなります。なるべくそんな考えに深入りはすまいと用心しているのですが、子供はもう手がかかりませんし、うるさい文句を云う人はいないし、私には自由な時間があるのです。こんな愚にもつかない夢みたいな考えごとは、時間さえなければ、つまり後から後から追われる忙しいからだなら、すっぽかしてしまえるのです。ひまに任せて私は、「恋とはあれだけのはかないものだったか」にとりつかれていました。
それは五月の休日続きのことでした。地方の親類の娘たちが来て、みんなで箱根へ遊びに行きました。いいお天気で、箱根はどの山もどの丘も浅みどり濃みどりに装われ、眼が新しくなったような美しさでした。アシの湖へドライブして来て、そこで二手になりました。山道にドライブしつづけるのがいいという組と、船で湖を渉りたいという組とです。私は船組の組長格で残り、夫は車組で走り去りました。船の出るまで二十分あります。
ほうぼうで鶯がたくみに囀っています。というのは、このたくさんな遊覧客を相手に鶯笛を売っている人が何人もいるからです。子供たちがほしがります。売り手は実に上手に吹いてみせるのです。鶯の形につくった粗末な玩具ですけれど、心ひかれるものです。だいたい笛そのものが人を惹きます。胸から吐く熱い息を細い管のなかに締めつけ、わずかな小さい穴からせつなく逃がしてやるときに鳴る、その音が笛の音なのですから、笛の音が人を惹かないはずはありません。鶯笛を売るおじさんおばさんはもちろん商売ではありますが、山に住んで生きた本物の鶯も朝夕おなじみでしょうし、また笛の音の人を惹く力もなんとなくわかっていることとおもいます。いかにも上手に吹きます。鶯という小鳥が、鳴いて鳴いて鳴きぬいて、絶えだえになりながらまた大きく、ホーホケキョと晴々と囀るその可憐さ、その花やかさ。人の吹く笛ですから本物以上の技巧をつかいますし、技巧と知って本物を思いだしているおもしろさがあります。子供たちは感嘆して屋台のまえに立っています。
「なあに笛だもの、誰がやったって鳴るさ。お母さん気に入った?あはは。買いましょう買いましょう。」そう云って私のうしろから男の人が出て来ました。
はにかんでいるお母さんはずっととしよりで、その人ももういい年輩で裕福そうです。買うとすぐ笛を口にあててみたのですが、へたくそなのでばかにのろまな鶯になりました。みんなに笑われ、「山へ来ると、こどもになりますな」と云いました。私は自分へ話しかけられたような気がしましたが、ただ微笑を返しただけで、こんな親子連れもいいなと思いました。
船は走っています。走るというよりつるつる滑って行くのです。まるで平らな湖です。子供たちは私を忘れてデッキにいます。私にはそう珍しいアシの湖ではありませんが、子供は夢中です。私は船室の椅子にかけていて気を揉みます。でも、「大丈夫よおばさま。ここに動かないで腰掛けてますから」と云うばかりです。
「子供はいいですな、なんにでも一生懸命になれて。」――鶯笛の親子連れがまた私の後の席にいました。お母さんも息子も二人とも私を見て笑いかけていました。
私は椅子をずらせて思っていた通りを口に出しました。「いいご旅行もあるものだとお見上げしておりました。」
響きがかえるようにそのお母さんが、「はあ、まあね。いい旅行と申せます。」
「天気はいいし、青葉も見頃だし、箱根も悪くありませんな。」
「ほんとにいいお休みで、――」と云っているうち私は直感的に、このひとは子のない人じゃあるまいかと思いました。親子連れは誰が見ても親孝行の遊山旅ですが、見直せばこの二人の身のまわりには寂しさが見逃せません。きもの履物はりっぱなのに、漂う寂しい空気があります。
すると私のその観察を破るように、お母さんが小さい提げ袋の口をあけて、キャラメルの箱を出すと、つと私に渡して、「あはははは、めしあがれな」と上機嫌に笑うじゃありませんか。
「そんなもの、いつ持ってたの。お母さんもひょうきんだなあ」とは云われはしたものの、おそらくそのお母さんには昔なつかしいキャラメルの箱だろうと思われました。船はぶるんぶるんぶるんと機関の音と振動を伝えていました。旅の感情が激しくとりまいています。自分の寝起きする家を離れてよその土地へ来ているという頼りなさが、ひしひしととりまいています。飴は溶けやすく軟らかく、子供っぽいミルクの匂いがしました。
船着場には車組が待っていました。子供たちは駆け出して行きました。私はそのお母さんを棄ててしゃんしゃんと夫のところへ行くのが気の毒に思えて、出口まで一緒に歩いてあげました。
「奥さんが母の相手をしてくださいまして。――」とそのひとは夫に挨拶をしました。
それだけならば、私の旅の感傷は美しく終わったはずでした。が、なぜあんなことになるのでしょう。ほんとに奇妙なことだとおもいます。奥さんが母の話相手をしてくださって、おかげで船がおもしろかったというのは、ただの挨拶です。ですから当然こちらも、「それは結構でした」で済ませるのが常識です。それをどういうわけか、夫がいきなりかくしへ手を入れると、名刺入れから名刺を抜いてさしだしたのです。よけいなことをするなと見ても、もう出してしまっているのです。そのひとも慌てて夫の動作を裏返しにしたように同じことをやると、名刺を出しました。そして両方で改めて、もらった名刺を眺めていて、両方でいちどに「ああこれは」と云い、夫は私に、「会社では始終おつきあいがあるんだ」と申しました。ほんとうに、このときに夫がなぜ名刺など出したのか、夫も「別にどうでもなくてただ習慣のせいなんだな」と不思議がっていましたが、あの名刺さえ出さなかったら無事でしたものを、故意でないところに抵抗しがたいまわりあわせがあるように思えてなりません。
夫とそのひととの交際ははじまりました。丘さんといいます。私の思ったように身辺の寂しい人でした。夫人というのがそもそもの初めからお母さんには気に入らず、お母さんは郷里の跡取になった次男さんと一緒にいます。子供がありません。位置はやはりある商事会社のいい椅子にいるのですが、近頃の夫人同伴の席などにはいつも欠席なのが社員間の話の種だそうです。そんなですから、家屋敷はりっぱでも寂しい生活と見えます。そんなことはみな夫が聴くともなく聴きだしてきたことです。箱根のお礼にと云われて私たち夫婦は一晩ご馳走になりましたが、そのときも夫人は一緒じゃありませんでした。
夫は丘さんとの交際が好都合でした。なぜなら、いい位置にいる丘さんと知り合いになれたことは、しごとの面でスムースになったからです。私は、――私は来るべきものが来ているという緊張で、おおげさに云えばおののいていました。だって丘さんもまた私になんらかの特別な感情をもっていることは、はっきりしていたからです。私にしても丘さんの身辺のことを聴けば、それだけでもう箱根のことなど合点が行くのです。私は美人ではありませんけれど、そして八重に足りない七重ですが、健康な家庭から生れ、健康な娘で育ち、健康な夫を持ち、健康な主婦で暮してきました。丘さんは翳のある経験をもつ人と結婚し、その結婚によって母を郷里に帰らせ、子も持てず年とともに冷えた生活をしているのです。もしたまたま老いた母を上京させ、自邸へではなくホテルかなにかに泊め、折からの連休を箱根へ遊び、鶯笛のまえに子供を引き連れた、不健全の翳など捜してもない私を見たとしたら。きっと丘さん親子は、どこを見ても生き生きと明るい緑に囲まれて、いっそう身辺の寂しい翳にひしひしと感慨があったでしょうし、そうした暗い眼には健全というものがどんなに魅力をもって映るか、察するに難くありません。私の身についている健全さは、丘さん親子に快く感じられたでしょうし、さらに子供たちはどんなに羨ましく思えたことか、それがまた親愛感を助長していたのではないかとおもえます。と、こんなふうに察し得られることは、私がもうどんどん丘さんに曳きずられている証拠でした。
夫は何も思っていないようです。一緒に飲んだと云って、私へのおみやげなどことづかって来ます。私は夫と丘さんに挟まれて、揉まれるように心が乱れます。私も丘さんも若くはありません。ことばなど一つもいりません。眼もいりません。けはいも必要ありません。じいっと塑像のようにしていたって、話もできますし了解もできるものでした。夫は仕事上の都合にもよるでしょうが、以前から客寄せも好きな性質なので、平気でたびたび丘さんを連れて来ます。「丘さんは料理屋で飲んだあとは、素人のうちの茶の間が懐かしくて、やたらとひとのうちへ行っちゃ番茶を一杯って云うのが癖だそうだから。――」と云います。見なくても聞かなくても気もちはわかるものを、まして見たり聞いたりすれば、わかりすぎてどうしたらいいのでしょう。
実際の行動的なものは何もありません。好きとも恋しいとも云ったことすらありません、お互いに。しかし、これは夫を前に置いての姦淫です。どう都合よく考えようとしても不義の感は消せません。夫を嫌うのでもなく、夫に愛をもてないのでもありません。でも、丘さんには惹かれているのです。一日じゅうの時間を分析すれば、丘さんのところへ気を走らせている時間のほうが多いのです。それに、ほんとにいやらしい私です、何かにつけて男二人を較べてみるのです。社会的位置とか、富、風采もですが、人そのものを比較します。夫は別にそう劣る男でもありませんし、丘さんがずばぬけて傑出した人というのでもないようです。それだのに丘さんは朝のようで夫はたそがれて見えます。そしてその薄く暮れた灰色は厭わしくてなりませんでした。しかし、それならと一気に思いきれるものでもありません。夫とのあいだには長さという共同の財産があり、家庭という共同の責任があります。恋ではなくとも、毎日一緒にたべるご飯に愛情がないのではありません。私を支えている生活の全部には一つ一つ積み重なりの重みがあり、その一つ一つの積み重なりには燃える光はなくとも、肌にしみ入る温みがあります。私は丘さんへも夫へもどうしていいか惑いますし、第一自分自身のこの二心の苦しさをどうしていいか、このままでは救いがないのはわかりきっています。ずるずるとしていて、うやむやに終る意気地のなさもいやですし、なんとか早く、自分の手でけりをつけたいという誇りがあります。一人ではできないから誰かに手伝ってもらって……と考えると、兄や姉もだめです。ただ驚いたり叱ったり軽蔑したりするだけでしょうから。
五重さんよりほかありません。あのひとが一度だって、ひとの陰口告口を云ったのを聴いたことはありません。それは打ち明けて事件がひろがる恐れのないしるしです。それに姉のように頑固でなく、私に優しいのです。淡々としていて、よけいな深入りはして来ないし、だからかえって冷静な判断をしてもらえそうです。きっと穏かな考え方をして力を貸してくれるとおもえます。こう思ったことに偽りはありません。でも正直に云えば、もう少し付け足すことがあります。これでは「悩む女」という飾りつけがしてあるのです。懊悩を解決しようという勇気も、助力も求めようとしたのも、全部が全部うそではありませんが、われにもあらぬ嬉しさ、思わず浮き上がるような楽しさ、はっと眩むほどの心の躍りかたがあるのです。それは誰かに云わずにいられないような気がするものでした。ですからそこにある隠しがましさがあって、頑固な兄や姉をよけて、適当に五重さんを選んだ気もちもあるのです。けれども、いよいよ話そうとして五重さんを訪ねたときは、さすがになにか切羽詰まった恐ろしさで、小刻みに胴が震えていました。このひとは五重の襞のなかにきたないものを畳んではいない、と思うと、ぶるぶるとさせられるのでした。
「どうかしたの。その顔の青さは並じゃないわ。葡萄酒あげるから待ってて。――」と、五重さんののんきも一眼で異常を認めたのですから、私もよほど上ずっていたのでしょう。
そんな大事な話ならと、茶の間から三畳へ通されました。どういうわけかそのころ五重さんは、もとがらくた置き場みたいに使っていた納戸の隣の三畳をかたづけて、自分の部屋にしていました。両方が壁で箱のようないやな部屋です。家族と隔たっている感じですから、一人でのんきに休むにはいいかもしれないし、こんな話には打ってつけでした。
聴くと、五重さんははっとしました。それで私はけしかけられたようになりました。案の定、五重さんは淡々と頷き、静かな聴き手になっています。はっとした驚きもすぐ消しておちついています。あれから六・七・八・九・十・十一と半年たっているのです。五重さんは粗末な瀬戸の火鉢へ炭を足して聴いています。一気に話し終えました。なんにも質問をしてきません。私も黙って火の起きるのを見つめています。話してしまったらぽかっと空になった感じでした。見ると五重さんの右手は火箸を突き立てるようにして、ぎりりぎりりと灰をこじっているのです。無意識にしているのではないかと思いました。私は自分がぽかんとしてしまったので、割におちつきが出て、しばらく黙って五重さんのぎりりぎりりを見ていました。あまりいつまでやっているので、ふと眼を挙げましたら、五重さんが泣きそうな顔を伏せているのです。意外でした。
なんにも云わず五重さんは泣いてしまいました。私の不潔が五重さんを悲しませて泣かせたと思いました。私は責められてたまりません。適当にとずるい気もちもあって五重さんを選んだのに、思いがけなく泣き出され、無言の涙で厳しく抗議されているのです。いちばんこたえる方法で恥じを知らされている、と思いました。からだじゅうが痛いほどこっちりと堅くかたまって、涙も出てきません。やっと泣きやんだ五重さんはぽつりと云います。「なんにも云えないわ。」
そしてまた火箸をいじっているうちに、ぎりりぎりりと始めます。私が火箸でこじられているようなのです。辛いのです。「もうやめて」と私はその手をおさえました。五重さんは私をじっと見ると、またはらはらと泣きだしました。
と、――「こっちか」と云う廊下の声が先生です。二人ともあっとたじろぐうちにもう襖があいて、「なんだ燈もつめないで。――」と、先生と電燈とが一緒でした。
私はうろたえました。間が悪いと云ったらありません。五重さんの泣き顔は隠せませんでしたし、私はがっと熱くのぼせてしまったのです。先生はすわりかけた膝をすわらずに伸すと、如才なく、「どうぞ茶の間へいらっしゃいませんか。こんなところではお茶もいれられないじゃないか」と誘い、なおとりなすように、「この人このごろどうも、少し神経が細くなりましてね、涙が出易くて困るんです」と云うのです。
「のんちゃん、おばさまにお菓子でもさしあげなさい」と、あちらで聞こえています。
まとまりのつかないなりに私はあたふた帰りかけました。すると五重さんが、泣いていた人のようでもなく案外いつも通りのおっとりした調子で、「お話だけのことなら、そして現在のままに終るならこれは、あとにはなんにも残らない、ということだわ。もし残ったとしてもそれは、四分の残り惜しさと六分の安堵かしら。……私の考えられるのはそんなところよりほかないわ。」
私は上の空みたいに、けれどもちゃんとこれを耳の底へ入れました。でもそれより、私が泣かせていたことを先生は何と思うだろうと、それが気がかりでした。「そんな心配いらないのよ。あのひと独り合点しているらしいから、そのままにしておけばいいのよ。」
なお云おうとするところへ、のんちゃんがお茶を持って来て、話はできなくなりました。
のんちゃんは中の子で、あまったれです。自分のお菓子も持って来ていて、横すわりでさっさとたべはじめます。あまえっ子のかわいらしい姿です。ひょっと強く自分の子のことを想いました。ああかわいそうに、と思ったのです。よくこんなことがありましょ?自分の子のセーターの肘が破れたのを、直してやらなくては直してやらなくてはと思いつつ、なおざりに馴れてしまい、ひょっとよその子の肘が破れているのを見て、ああ見苦しいと思い、それでやっと慌てて自分の子のを繕ってやる、というようなことが。――それです。のんちゃんを見ていたら、「この子は大きくなったときに、母親の情事を聞いて悲しいおもいをすることはないのだ」と思ったのです。そしたら、うちの子がもし、この私のだらしなさを知ったらどんな思いがするだろうと、いまさらに急にかわいそうになったのです。母の情事は息子を悲しませるでしょうし、息子の情事もときに母をながく寂しくさせます。白い遊覧船がついそこをすうと通りました。鶯笛が絶えだえに、ケキョケキョケキョと聞こえます。「いつ持ってたの、そんなキャラメルなんか。」――寂しい会話でした。身のまわりに湖の水がひたひたとさざなみをたてているようでした。
私はその足でうちへ帰る気になれません。行きどころはありません。夫へ何もかもぶちまけるよりほかありません。夫へぶつかって砕けたかったのです。夫はまだ会社にいました。すぐ帰るからと云うのを、私は外で逢いたいと言い張りました。会社の近くの喫茶店へ行きました。みっともないほどあせっていて、私は棕櫚の鉢植へぶつかったりしてしまったのでした。
「きょう、いま、別に何かあったわけじゃないだろ?そう、そんならいいさ。安心していたんだが、いきなり電話なんかでせかせかするから、おかげで心配させられちゃった」と私よりさきに、私にものを云わせないうちに云います。すべて承知していることが明らかです。私はものも云えません。
「君はね、しあわせな人だよ。」――何を指してしあわせと云うのでしょう。
「このあいだ丘さんがね、骨董のことを話していたとき、――惜しい縁というのがある、見つけたときにはすでにひとのものという場合がいくらもある。実に惜しい。でも惜しいほどのものは、やはり一生惜しんで思い出せるように、きたない追いかけや無理な手段をしてはなるまい、という話をしたんだ。さりげなく云ってるんだが、こっちへぴんぴんと何か伝わって来るんだ。そのときはそれなり済んだんだが、あとで考えていたら、一度にすらすらっとわかった。わかったら思いあたることがいくつも思い出せたけど、……安心していたんだ。だから君はしあわせだったんじゃないかとおもうな。」――ぶつけないうちに砕けて、いえ砕かれていました。静かではない人ごみの喫茶店です、私は夫に促されて立ちました。
*
夫と丘さんは相変わらず一緒に飲んだりして続いています。丘さんのお宅は養子の話などもあったようですが、そのままで鎮まっています。お母さんはもうとうにお国で亡くなりました。謙はもう中学生になっています。五重さんののんちゃんもきれいなお嬢さんになってきています。先生もこんなきれいなお嬢さんを持って自慢にしていらしたのに、あんな突然にお亡くなりになってしまって、……もっともご当人はまえから五重さんに、「おれは待ったなしで逝くだろうからそのつもりでいろ」とおっしゃってだったそうです。お医者だからわかっていらしたのでしょうが、残念でした。五重さんも覚悟はあったと云っていますが、どっと気が落ちたと見えます。おっとりしている上にぼんやりが殖えたようです。
よく、主人に死なれると用がなくなって手持ち無沙汰で困ると云いますが、五重さんはぼやっとしていました。それが四十九日忌が済むと、どういう風向きなのか、旅行をするのだと云いだしたのです。あまり旅行が好きではなかったのですから、よくよく訊いてみると、奈良の仏様を見てまわりたいというのです。やはり何か信仰心でも持ちはじめたのかと思いました。誰も連れず一人で行ってしまったのは心許ないことでした。実は私は心のなかで旅行に不賛成でした。丘さんのようなケースがあるからです。仏様を拝みに行って苦を背負って帰ることもあり得るのでした。奈良は静かな道と風雅な築地塀がある土地です。そこを行く五重さんを想ってみるのですが、なぜか一人ではないような気がします。誰かが一緒について行ってるようなことを、つい思ってしまうのはおかしいことです。無事ばかり祈っていました。
絵葉書が来ました。東大寺の中庭の燈篭の火屋にある、有名な笛を持つ天女の写真です。何度見ても見るたびに美しいと感心する天女像です。「天女さまはまことに上なく貴く美しくおわします」とあり、もうあすあたり帰ると書いています。その夕方、旅姿のまま、駅からまだうちへは帰らずに寄ったのだと云って、少しやつれた頬にほほえんで五重さんはやって来ました。
何かあったな、と私はもう緊張してしまいました。「おみやげ、――」と出されたものは、絵葉書と同じ笛の天女の大きな写真です。
私はほんとにまぬけです。大まぬけでした。自分のまぬけにもどきんとしましたが、それはとりもなおさず五重さんの話もどきんとする話だったということになります。「あなたがいつか丘さんでまごついたときね、実は私もよくない状態にいたの」と云うのです。
私はいちどきに質問が溢れそうでした。信じられないのです、早く確かめたいのでした。が、押えました。あのときの五重さんの何も訊かなかった静かな姿を思い浮べたからです。語られることだけを聴けばいいので、ましてこの話はもう何年も前のことでした。先生は相当の遊び手だと聞いていましたが、五重さんは大事にされていたはずです。それでも妻としたら情ない寂しさは味わわされていたでしょう、その隙間がそういう結果を生んだと思えます。誰とどういう交渉だったか、話されないから訊きもしませんでしたが、つきつめたところへ行っていたと察しられます。それが他人の眼に、といっても実はのんちゃんの眼によってあばかれたのです。どうしてのんちゃんがと思うでしょう?五重さんにうたた寝をする癖がついたからなのです。
人妻は時間が自由のようですが、誰にしても隠れて人に逢うとなれば、相手の都合もあるし、時間は不自由に縛られていることに気がつきます。いずれは先生の留守の時間ということになります。とすれば昼間です。きっとあのひとのことですから、堂々とホテルのロビーとか、銀座のゴーストップのところとかが逢い引きの場所だったのではないかと、これは私の想像です。もっとも気骨の折れる方法で、わずかの短い時間を緊張のありったけを尽くしていたことでしょう。もしかりに横になったことがあるとしても、一度踏み越えたからあとはずるずるっとどこまでもむちゃくちゃになれるというタチの人ではありませんから、多くそうした逢い引きであったらしく思えるのです。それで、その短い緊張の時間を終えて、帰って来ると疲れてしまうのです。緊張のあとの解放感からうつらうつらうたた寝になったのでしょう、その癖がつきました。しかも夢にそのひとを描いてうつつに眠りに落ちて行く癖でした。自分から導いてつけて行った癖ではないでしょうか。だから私はそれが、五重さんの逢い引きがはかないものであった裏書だと考えるのです。のんちゃんはそのうたた寝の母の顔を珍しいものに見たことだとおもいます。そして何と云ったと思います?「ママ、笛吹き天女に似てるわねえ」と云ったそうです。
お姉さんの教科書をわざわざ持って来て、見せたんだそうです。その五重さんの狼狽はさぞと思われます。「つきつけられたと思った」と云いました。下界の汚れを知りまさぬ天女の顔に似ていると云って、子は母をざくりと刺したのです。五重さんがたしなめれば、のんちゃんはよけい嬉しくなります。お母さんが天女だと考えつけば嬉しかったに違いありません。食卓に集まっているとき、このあまえっ子はお父さんにそのことを披露したのです。何事もなくて済んではいましたが、しばらく後に五重さんは正面から云われました。
「おれは心のなかの診察はへたのようだけれど、医者のはしくれだから、うたた寝をして天女になる患者を預かれば治療はしたいと思う。ついては、――」と逆に先生から詫びを云われたのだそうです。先生もご自分の痛いところを曝さないと、ひとの介抱はできないと観念なさったのでしょう。先生は闊達な人ですから、ほぼ解決策は察しがつきます。
「その人しらを切ったのよ」と云うのですから、五重さんはさんざんのはずです。「でも私は、そう早くかたづいた気もちにはなれなくて、くすぶっていた」とも、「何度自分の寝顔を見たいと思ったか。何度、似ているという天女を見に行きたくおもったか、恐ろしくもあり見たくもあるし。それが責めというものなのね。」――そうだろうとおもいます。五重さんは天女にじわじわと責められたとおもいます。先生は、「寝顔はおれに任せといたらいいだろ。医者のする心配だ」と笑ってこだわらないのだそうです。
そのときから先生は急に、「いくらかの用意はしておかないといけない。おれがいなくなっても生活と子供の学費は苦労させたくないから」と云いだして、夜の往診でもなんでもこまめに出かけたというのです。いくらだか知りませんが、これで一安心だとなったのが去年だといいます。そして、いまはもうぱたりと逝ってしまわれました。花にかこまれたお葬式の写真が五重さんには、白い雲のなかに浮んでいるような気がしてたまらなかったらしいのです。天女と虚空と、夫と死との連想でしょう。
「…………」
「似ているわ、どうかした拍子に似ていると思うわ。」
私は五重さんの頬に涙が伝わっていはしないかと思うと、頭を挙げて見られませんでした。これで五重さんの気が済んだのか済まないのか見当はつきません。ただ先生はこの世の業苦を果して、うつし身を済ませてしまわれたことだけは確かです。あの日、五重さんの三畳――いまおもえば、あれはきっとのんちゃんに云われて茶の間にいたたまれなかったための逃げ場だったのでしょう――にいて、遠く鶯笛の絶え入りそうなケキョケキョを聴いたように思ったのでしたが、いま私は五重さんは天女の笛をじっとうなだれて聴いているのではないかと、しきりにそんな気がしました。さまたげまいとして私もじっとしていましたが。――
私と五重さんとはまるで違います。違っても似ているとおもいます。あやまち多くよろけて歩いたということでは同じです。七重も五重もありません。楽器はいいものだとおもいます。
(昭和三十二年二月) 再说一点《流れる》《みそっかす》里面有这样一段话:
父は生れだちからひ弱で、たびたび死ぬようにひきつけたそうである。ときは上野の戦争、住いは黒門町だったから、短時間のうちに立ち退かねばならない騒動になっている。そのなかで父は息も絶えだえに、眼をひっくりかえしてしまっている。「これを思うと知らざることとは云いながら、大大変のさなかにおっかさんに苦慮をおかけ申し、実におれというやつは生得不孝の罪浅からざる申し訳なきやつで、おっかさんのご恩は洪大だ」と、時には感じて涙すら浮べて云うのである。あんまり度々聴かされたので抑揚までおぼえている。そして結びには、弱即悪という論は成立つという事になる。弱即悪なら、世のなかの弱いやつはみんな死んじまえばせめて悪の蔓延は防げるだろうと云うと、「きさまごときがむやみに口を出せる境涯か」と憤慨し、「第一ことばを出して人に不快を与える、自らの業の穴を深くして苦しむ大馬鹿者」と来る。晩年父も私も非常に穏かに話していたあるときに、「文子は口業が深いのですか」と訊いたら、「そうだ、まことに気の毒だ」と云った。そのあとで、「おまえのみに限らず女は大抵そうだ」とわずかに慰めらしく云ってくれた。気の毒とはおかしな返事だとおもったが、日を経るにつれて、これは針のごとくわが心にささって利いている。気の毒である。
读着读着《流れる》就想到这段话。小说的基调基本上是很硬很冷的,从不多感慨也从不多哀怜,但也没有任何嘲讽。小说中的人物大都弱小,因着弱小常常互相刁难。比较起来最强大的人物还要数作者的化身第一人称的女佣梨花,她带着惊奇地睁大眼睛冷冷地观察,或者说故意冷冷地观察——小说里面好几次提到,梨花不断提醒自己这是别人的事自己只是一个女佣但是没办法还是忍不住像是自己的家庭一样担心着这一家的人。比如说小孩子病了不愿意打针闹腾起来,大人们都管不了,随口把这事交给梨花,梨花本来就在旁边看不下去了,说了一句:要是这样的话我来抓住她,但是事后你们可不要说我狠。然后三下五除二地就解决了。之后的这一段非常有意思:
「すっかり感心しちまった。子どもをいじるのが上手というばかりじゃない、ほんとにあのとき、えらいっていうふうに見えたもの。ああいうところはしろとさんのほうがしっかりと暮してきたと思えるのね。私たち弱いや、負ける。」主人は病人のことなど忘れたようにしきりにそれを褒めるが、梨花はしまったことをしたと苦笑している。不覚にもひょいと見せてしまった、これは自分取っときの強さの一部分なのである。あんなときあんな小出しのかたちで見せるべきものではなく、もっと一大事のときにいちどにずかっと効果的につかうつもりで大切にしていたのだが、はからずこんなことでひょいと見せ、見られてしまったのはまずかったと、滓ののこる思いである。
自己本来打算深藏不露的强大的东西,一不小心在这种小事上给人看到了,糟糕。——但是更多的时候,梨花只是一个旁观者。她那双几乎可以说是毒辣的眼睛把每个人的心理的细微之处照射出来,每个人都是有一点点可爱但大部分都可恶。即使是梨花,也因为她把这可恶看得太清楚了而使人(使我)生厌,然后就不由得想起最开始那段话,对照来看也是很有意思。「気の毒である。」……整个小说的行文并不沉重,当然也不轻快,确如小说的题目《流れる》,河水流过,时急时缓,最终还是流了过去。河水触手冰凉又有一点温馨。
与小说相比电影的《流れる》就温馨的多,人物也可爱的多了,而且加进了很多的喜剧成分。本来在小说里面最不可爱的人物(我的个人意见)勝代,是长得又丑、又没有职业、也没有爱好、嫉妒、傲慢、又莽撞又不通世故、还处处刁难人,在电影里面却是由最漂亮的高峰秀子来演(高峰秀子也是《浮雲》的女主角),虽然是有点莽撞不通世故,有点生在艺妓家庭的自卑,有点因为自卑而生的傲慢与嫉妒,但到底是个上进的年轻人。电影的主题也由小说中的人物生活的飘零而转移到艺妓行业的渐渐没落,上一代与下一代的时代流逝。这也算是另一种意义上的“流れる”。总之就是,电影比较大众,小说则比较深刻,也更接近生活的真实。 流れる。流れる。 据说幸田文47岁的时候曾经失踪数月,住进神田川最下游的柳桥一带做工。那里从江户时代起就是著名的花街。几年之后幸田文写出了她的代表作《流れる》,讲述四十出头的寡妇梨花在逐渐没落的艺妓家中做女佣, 所目睹的花柳界华丽生活背后的命运沉浮。和幸田文之前的作品不同,《流れる》是真正的“小说”,故事里的人物生活在她们独自的世界里,作者则从故事中退出来。虽然故事中的梨花仍然会带上一点幸田文的影子,比如说小说里面有人送来一笔钱,梨花给人写收据,拿到收据的人一看,“哎呀好书法!从笔迹中就可以看出一个人的过去。你到底是什么人?”但是我们读者在旁边哈哈哈大笑说当然了人家可是幸田露伴的女儿这却是跟小说中故事无关的。(幸田文在《みそっかす》里面自述说,奶奶的字非常漂亮,幸田文小时候新年试笔,字在宣纸上撑得满满的,把幸田露伴都逗笑了。把字拿给奶奶看,奶奶把幸田露伴叫来说,文子看来有点资质,这么大的字一般人叫他写也写不出来。你好好辅导一下。回家以后幸田露伴就拿出千字文让幸田文抄。但是幸田文喜欢爬树不喜欢练书法,总是偷懒。父亲为了讨她高兴给她买了一块很大的砚台,但是幸田文到底没有被收买。最后练字的事就不了了之了,这么看来也许实际上幸田文的书法其实也不是那么好?)
《流れる》发表一年之后就被改编成电影,导演是成瀬巳喜男。(据说法国的电影杂志《Les Cahiers du cinéma》有个日本导演的排名是小津安二郎、溝口健二、黒澤明、成瀬巳喜男,把成瀬排在第四位。还据说成瀬刚出道的时候风格和小津很像,被人说“小津不需要两个”而受到不公正待遇。直到他拍出了《浮雲》,小津大加赞赏说这是我拍不出来的。)这电影几乎集合了昭和时代日本电影界的所有女明星,每个角色都很有个性,毫无疑问是日本电影史上不可缺少的一笔。
总而言之就是,小说也非常好,电影也非常好。
高中的时候就记得这个幸田文,那时候做现代文阅读题,只要是幸田文写的,大半都读不懂。即使是现在也时常有读不懂的地方,但是我从来也没有像现在这样喜欢上一个作家。幸田文40岁以后才开始写作,而且是一个离了婚的寡妇。也正是如此她的文字背后可以看到厚重的生活和强韧的精神,加上她天资聪颖的纤细的感性,美感,性情,构筑起的强大的人格,人格之上呈现出的立体的话语,话语之中流泄出的美丽文字。我理想中的作家就是这个样子。幸田文是用自己的足迹,自己的体验写作的作家。住过花街,上过捕鲸船,听说法隆寺的五重塔要解体修理也亲自跑去看,听说北海道的松树在倒掉的巨木之上新生出来也亲自跑去看,听说小石川植物园实验栽培的白杨树被砍掉送到工厂去了也亲自跑去看。直到80多岁了还跑到山上去看山体滑坡,爬不上去的地方就请人背着她上去。
几个星期以前在旧书店买的『番茶菓子』,之后就一发不可收拾地买了『流れる』、『木』、『崩れ』、『おとうと』,还有收录了『みそっかす』、『勲章』、『姦声』、『笛』、『鳩』、『黒い裾』、『蜜柑の花まで』等等的文集。慢慢看吧。 红鞋 说起舞蹈,就想到这个。《我有两双红舞鞋》,作者是玛雅咖啡,这里是她的网站。另外把安徒生的《红鞋》也附在后面。
我有两双红舞鞋
在我的宝贝匣子里有两双鲜红的舞鞋。一双本是普通的粉色芭蕾舞鞋, 我用颜料把它涂成了鲜红色, 红色的丝带还是我小心翼翼一针针缝上去的呢; 另一双是我的第一对佛拉明哥舞鞋,是我的老师在西班牙定做的。红鞣皮的面,跟安徒生童话《红鞋》里公主的那双鞋一样。鞋跟已经磨损,鞋面汗渍斑斑。前一双是童年的梦,后一双是我现在的梦――去西班牙塞维亚学舞。世界上没有什么东西能跟红鞋比较!它们是我的宝贝,走到天涯也要带着这个宝贝匣子。
这个梦是从什么时候开始的呢? 是不是看到那个不怕死的女人穿着红衣服被仇人吊在树上,她尖尖的脚?也许。 是父亲从苏联带回来的那张乌兰诺娃的明信片吗?也许。我那时天天缠着父母要一双“踮脚尖”的鞋。看,我的手臂和腿多么修长,看我笔直的脚面,全身力量集中在脚趾,在地上一点,我就可以腾空飞越。到哪里去买呀?他们问我。 -到北京去。 -他们不买给普通人,只有舞校的学生才可以。 -那你就把我留在北京吧,我和高阿姨住在一起,还有沈姨,宝丰哥哥,他们都好喜欢我的。你让他们收养我好不好?我要去舞校,我要去跳舞。 -你没有北京户口,怎么住下来? -我们去定一个户口可以吗?他们就哈哈大笑。 -你把我送给街上的人吧,我就可以留下来了。妈, 你反正是没想要我的,就让我留在这里吧。我要跳舞。 …….. 我的案头放着一张照片,是七岁那年的。那个小女孩儿穿着一条接了一段又一段的灯心绒裤子,麻花辫子缠着红色的蝴蝶结。 那年妈用一条红被面给我做了一条红色的背带裙,鲜红色的。第一次的六一儿童节,每个女孩子都要穿红裙子。回家告诉妈妈,没有一条红裙子,急得大哭,妈找不到同样颜色的红布,就把那条印着梅花的红绸被面熬夜给我缝了一条裙子,第二天早晨才给我钉完最后一颗扣子。 上台了,其他同学的都是粉红色的。我站在最后排,结果成了最显眼的人。那条红裙子在台上最扎眼,台下的人笑,同学也笑,上台我们唱得走了调,歌词前后颠倒,台下的人哈哈大笑,所有的人看我那皱巴巴绣着梅花的红裙子和脸上东一块西一块的胭脂,眼泪汗珠弄得一团糊涂。回家大哭,我为什么没有一条和别人一样的裙子?!哭得要断气,拿起剪刀撕拉一刀剪开,恨得把那条绸裙子撕成条条。然后扑在上面大哭, 喊着再也不去上学了。老师不好,同学都笑我…….从此后,父母要绑架我去上课……我再也不去参加班里活动,我从此也根本没有机会上台跳舞。 我只好在镜子前跳给自己看。 我还是没有一双红舞鞋,楼上邻居林奶奶倒是给我衲了一对千层底的绒面棉鞋。林奶奶是妈的潮州老乡,年轻时给人称作“绣娘”,她已经60多岁了,还是一样手巧心细。那天看见她绷了绣框,在绣一条红绸的枕头套。我问老奶奶:奶奶,你能帮我做一对跳舞的鞋吗?就好像电影里吴清华穿的那双一样。我要跳舞。死缠烂磨。老奶奶说,我没见过什么“点脚尖”的鞋,你画给我看什么样,我就给你做。我赶快回家,用铅笔蜡笔画了一双跳舞的鞋,跑去给她,奶奶,就是这样的。一个月后,我有的却是一对中式无绊儿红花布鞋。奶奶她没见过芭蕾舞鞋。 -妈, 你给我买一双踮脚尖的鞋好吗?我要过生日了,什么都不要,就要一双鞋。这是我第N次用这个话题来折磨她。 -你知道吗,小丫头,我15岁的时候都没鞋穿,从中学回家,两天一夜的路都是赤脚走来的。我们现在在这穷山沟里,哪里有芭蕾舞的鞋卖?好孩子,别做梦,妈教给你针线,以后你自己做。妈给我看她的脚。妈的脚是水手的脚,脚趾张开像一个结结实实的大蒲扇,她是我们家这条船的船长。 我只好穿着我的花布鞋跟我的小石子跳舞。上学放学的路上,专注地踢着石子, 步法随心所欲,不高兴的时候,就远远地狠狠踢一脚;高兴了,就和脚下的石头讲话。我哼着自创的音乐,给自己打着拍子。唉,现在只要有一枚石子就能唤起当年对舞蹈的渴望,整条路随着我的舞蹈生动起来,甚至人、鸟的喧嚷和嘈杂声也变成伴奏的音乐。身体前俯后仰,步速缓慢或迅捷,不屑看晚霞的风景,只对一枚石子热情。 那些进入血肉的韵律呀,什么时候在我的身体里生长、分枝、蔓延? 是哪一世的飞天把生命密码传递到了我这里?除非受到雷电或刀斧的袭击,它不会改变固有的方向;这应该就是那个叫做命运的东西。 舞蹈的语言在脚下写出,脚尖和脚跟的交替变化,情绪在手指尖起伏流动,冲撞,诱惑。手脚的肌肉剧烈的运动,生发出燃烧的热量。或者相反,舞者让时间流过,僵硬,停滞,没有力气,像一个瘫痪的病人,没有动作,与理想的距离无限拉长,甚至干脆空白出一道深渊,直到形成不可穿越的绝境。滞涩的停顿,难挨的等待,只有歌者嘶哑空旷的哀哭…….思维麻木,情绪停止奔流,孤零零地踮起足尖,静止……. 脚尖轻轻地点过生命,我却要重重地留下痕迹。这个停顿大约有十年的时间,生病,逃课,身体僵硬,非常容易摔倒。手腕、膝盖还有额头角到处都是伤痕…我喜欢爬树,钻工厂里的烟囱,去稻田边捉青蛙,从学校的后门逃学…… 我贪玩儿,从小就和野男孩子疯跑,上树摘青刚果,拣死人骨头,到田里偷苞米、甘蔗和红薯,坏事干得不少。体育成绩倒是从来不错,我压腿,玩单杠,跑步最好,百米冲刺我总是第一。我还有时间呢,等我身体好了,长大了,就可以自己一个人离家到北京去,去舞蹈学校。 没有人会收你的,没有人,就你这样的家庭出身,还想去跳舞? 13岁,读完了《简爱》, 读完了《欧也尼·各朗台》, 开始读《邓肯自传》。 邓肯也没有受过什么正规的训练。她也没有学芭蕾,她只是披块白色的布就上台了,她也没穿舞鞋,她是赤脚的。我开始每天长跑,压腿。 我的跳远,跨栏、体操的成绩都很好。我投入到发狂的地步,跑步竟然跑得胃出血。我还有时间呢,有的是时间。有的舞蹈家30岁才开始跳舞的呢。 转眼我早就过了芭蕾学校录取的年龄。 不去学校的日子就躲在家看闲书,终于看到这一段: “你得跳舞呀!”她说,“穿着你的红鞋跳舞,一直跳到你发白和发冷,一直跳到你的身体干缩成为一架骸骨。 她跳着舞,她不得不跳着舞——在漆黑的夜里跳着舞。这双鞋带着她走过荆棘的野蔷薇;这些东西把她刺得流血。她在荒地上跳,一直跳到一个孤零零的小屋子面前去。 五年、十年, 十五年过去了,只在枯燥的书页里跳舞,头晕目眩,厌倦生活,没有热情,麻木地让自己不停地摔跤,折磨身心,故意最重地磕碰在挫折上,清醒时,已经伤痕累累。 越过高山,越过海洋, 走过青春,走过爱情, 红舞鞋永不疲倦, 永不停歇 跳啊,跳啊,每天都要跳啊,跳到你再也跳不动。 ……我已经感觉到斧子在颤动!请不要砍掉我的头吧,因为如果你这样做,那么我就不能忏悔我的罪过了。真要砍,就请你把我这双穿着红鞋的脚砍掉吧! ……于是她就说出了她的罪过。刽子手把她那双穿着红鞋的脚砍掉。不过这双鞋带着她的小脚跳到田野上,一直跳到黑的森林里去了。 ……他为她配了一双木脚和一根拐杖,同时教给她一首死囚们常常唱的圣诗。她吻了一下那只握着斧子的手,然后就向荒地上走去。 宝贝匣子里 有两双红舞鞋 在我已经淡忘这个关于红舞鞋的传说时,我逃出了国,第一双红鞋终于出现在我的面前。我抚摩它,欣赏她从容淡定的神情,她也跟我说话,许诺我永恒的美丽。条件就是要我不停地旋转,不停地绕圈,不停地踢腿,不停地跳跃。因为呀,你的明天没有爱情,也没有荣耀,最实在的,让你无怨无悔的就是这一双舞鞋。 好吧,就是这双红舞鞋,即使它会让我发疯,即使它会咬我的脚,我要不停的旋转,不停的绕圈,不停的踢腿,不停的跳跃。因为明天, 明天的明天也没有爱情。 我在自己的生命里注入红色的激情,偏执地选择一切红色衣帽鞋子,背着如血染般的书包,染着红铜色的头发,喝着血腥的Blood Mary,来,陪我做个吸血鬼。 波士顿,机会来了,一边读书上课,一边就开始去芭蕾学校上基本的芭蕾形体课。 一个星期6到8个小时。星期三晚上,星期六下午还有星期天早上。每次三个小时。Plie, Tendu, Pirouette,Port de bras,Jete,Fouette, 这么多新的词我都不会, 我要记住呀, 下次上课要记住呀。挺直背,掌握重心,全身收紧,感觉有一根绳子在头顶把我吊起来飞。我脚尖一点,就腾空而去。 别去了吧,同学们的身体都比我好,她们比我都有时间。我哪里有时间来跳舞啊。 美丽温柔的老师Linda告诉我,我还有的是时间,我还来得及。来得及呀,不要放弃,千万不要放弃,如果这是你的梦。我告诉她舞蹈不是梦,它是我的信仰,只要一跳舞,我就会忘掉悲伤,生命立刻复活。只要音乐响起,长期折磨我的痉挛、神经紧张、羞涩和不安都会烟消云散。随着红舞鞋一起旋转旋转。只要音乐不停,我就会忘记疲倦,忘记过去,踩着熟悉的舞步跳下去,跳下去……音乐是红舞鞋最好的伴侣,音乐是舞蹈的灵魂。 钱用光了,怎么办? 嘿,好心的先生,你愿意娶我吗? 只要你供我每天去跳舞。为舞蹈出卖身体? 唉,只有这样了,你就算是我的资助人吧。娶我吧,一切都依你,我只要一个屋顶,还有学费。不多,就一点点。你只要跳舞?只要跳舞,没有其他,你要怎样我都答应。你喜欢红色?对,我的脚也爱红色,它们会吸钱,也会吸血呢。 你就把我的血都吸去吧。给,这是我的爱情,哈,别的女孩子都要它,拿去吧,它根本对我没用…它只会用刀伤我,割我的心,用我的血写字,拿去吧,全都拿去,我只要跳舞……. 自虐,全身酸痛无力,红肿起泡的脚塞不进冬天的靴子,书包大衣,练功的背包,怎么这么沉呀!我什么都没有,只有够上芭蕾的学费,从商学院退学好了,我只要跳舞。听过这首《流浪的红舞鞋》吗? 这就是那些个日子的音乐。 蓝色黄昏 流浪儿 慵懒的歌 红马车 梧桐遮住了 舞蹈的鞋 马戏团描出声色 不管 你有一分钱或黄金万贯 不管 你是一只蚂蚁还是个上帝 第二双红鞋踏在纽约第八大街上。我的学校就在46横街。爬上高高的楼梯,跺脚的鞋震得小楼要倒掉。我的老师最喜欢这个地方,因为那地板老旧得要踩断掉,楼上跳舞,灰尘就到下面一层楼。下面是中东的肚皮舞课。他们的老师总是抱怨我们的音乐太吵,我们的跺脚声全曼哈顿都听得见,啊哈,要是那样就太棒了! 越过高山,越过海洋, 走过青春,走过爱情, 红舞鞋不知疲倦,永不停歇…… 我的老师V已经60多岁了,可他从来不服老。他小时得了小儿麻痹症,左脚跛了, 但是他跳起舞来像上了发条的机器猫。 相信吗? 我的老师是跛脚的,但是没有其他人比他更知道什么是佛拉明哥。一个60多岁的人在纽约的飞雪的大冬天里骑摩托飞驰曼哈顿上下城, 身上只穿一件黑呢大衣。他是不是那个红胡子老人?对了对了,他摸了我的脚,我就跳了起来。 树林中有一道光。她想这一定是月亮了,因为她看到一个面孔。不过这是那个有红胡子的老兵。他在坐着,点着头,同时说: “多么美丽的舞鞋啊!” 这时她就害怕起来,想把这双红鞋扔掉。但是它们扣得很紧。于是她扯着她的袜子,但是鞋已经生到她脚上去了。她跳起舞来,而且不得不跳到田野和草原上去,在雨里跳,在太阳里也跳,在夜里跳,在白天也跳。最可怕的是在夜里跳。她跳到一个教堂的墓地里去,不过那儿的死者并不跳舞:他们有比跳舞还要好的事情要做。她想在一个长满了苦艾菊的穷人的坟上坐下来,不过她静不下来,也没有办法休息。 午夜他带我飞车布卢克林大桥去看河上流动的灯影。我们一起去西班牙吧,去塞维亚,我的存款等到明年就有5万块钱了,我还可以在那里教学生,和我一起去好吗? 我们在那里买一栋小房子,就住下来,那里是我一生中住过的最美的乐园。 我愿意翘盼 安然的醉酒微酣 红胡子的老人 微笑多恬淡 我的舞鞋旋转 我唱到疯癫 我愿弃世登仙 旋转的车轮来为我献欢 我怎会疲倦 千僖年,当面告诉妈我要去西班牙一边写作,一边学舞。 哎呀,你这个孩子又是走火入魔了,你怎么还不懂事呀,都这么大了,还跟孩子一样,你要把我累死呀,供你读书这么多年,容忍你做了一件件离经叛道的事,都忍了,你到现在还不成家立业,还要我这老婆子养你不成?妈,没有叫你养我,我自己可以在酒吧里跳舞挣钱。 一个巴掌打过来。呆了。妈大概有20年没有打过我了。在酒吧跳舞!亏你说得出口。 你说过,要给我的孩子一笔钱,我的孩子就是舞蹈,就算是你把钱给了我的孩子。你这个长不大的死丫头,为什么不结婚, 为什么不要孩子? 因为没有人愿意给我房子住,还供我去跳舞。 你这个死丫头啊,早知当初不把你生出来就好了!听听你都说些什么疯话! 那你为什么当初不把我留在北京,留给街上的陌生人? 这样我就有机会早点进舞校了…… 嗄,你这疯疯癫癫的孩子,……. 宝贝匣子里 有两双红舞鞋 它们今天在哭 很久很久以前有个关于红舞鞋的传说,告诉每个爱跳舞的女孩子,告诉每个还没有得到些什么,也就无所谓失去的女孩子。那是一双神奇的舞鞋,一双让人无法抗拒的魔鞋,有着火的颜色,血的灵魂。她等待,等待着那些希望自己的生命如火般燃烧的女子,等待着愿意用生命交换的女子。她们会穿着这双有生命和意志的鞋子,美丽地旋转再旋转,直转上天堂的顶端,或者沉入地狱的深处…… 红鞋[安徒生童话]
从前有一个小女孩——一个非常可爱的、漂亮的小女孩。不过她夏天得打着一双赤脚走路,因为她很贫穷。冬天她拖着一双沉重的木鞋,脚背都给磨红了,这是很不好受的。
在村子的正中央住着一个年老的女鞋匠。她用旧红布匹,坐下来尽她最大的努力缝出了一双小鞋。这双鞋的样子相当笨,但是她的用意很好,因为这双鞋是为这个小女孩缝的。这个小姑娘名叫珈伦。 在她的妈妈入葬的那天,她得到了这双红鞋。这是她第一次穿。的确,这不是服丧时穿的东西;但是她却没有别的鞋子穿。所以她就把一双小赤脚伸进去,跟在一个简陋的棺材后面走。 这时候忽然有一辆很大的旧车子开过来了。车子里坐着一位年老的太太。她看到了这位小姑娘,非常可怜她,于是就对牧师(注:在旧时的欧洲,孤儿没有家,就由当地的牧师照管)说: “把这小姑娘交给我吧,我会待她很好的!” 珈伦以为这是因为她那双红鞋的缘故。不过老太太说红鞋很讨厌,所以把这双鞋烧掉了。不过现在珈伦却穿起干净整齐的衣服来。她学着读书和做针线,别人都说她很可爱。不过她的镜子说:“你不但可爱;你简直是美丽。” 有一次皇后旅行全国;她带着她的小女儿一道,而这就是一个公主。老百姓都拥到宫殿门口来看,珈伦也在他们中间。那位小公主穿着美丽的白衣服,站在窗子里面,让大家来看她。她既没有拖着后裾,也没有戴上金王冠,但是她穿着一双华丽的红鞣皮鞋。比起那个女鞋匠为小珈伦做的那双鞋来,这双鞋当然是漂亮得多。世界上没有什么东西能跟红鞋比较! 现在珈伦已经很大,可以受坚信礼了。她将会有新衣服穿;她也会穿到新鞋子。城里一个富有的鞋匠把她的小脚量了一下——这件事是在他自己店里、在他自己的一个小房间里做的。那儿有许多大玻璃架子,里面陈列着许多整齐的鞋子和擦得发亮的靴子。这全都很漂亮,不过那位老太太的眼睛看不清楚,所以不感到兴趣。在这许多鞋子之中有一双红鞋;它跟公主所穿的那双一模一样。它们是多么美丽啊!鞋匠说这双鞋是为一位伯爵的小姐做的,但是它们不太合她的脚。 “那一定是漆皮做的,”老太太说,“因此才这样发亮!” “是的,发亮!”珈伦说。 鞋子很合她的脚,所以她就买下来了。不过老太太不知道那是红色的,因为她决不会让珈伦穿着一双红鞋去受坚信礼。但是珈伦却去了。 所有的人都在望着她的那双脚。当她在教堂里走向那个圣诗歌唱班门口的时候,她就觉得好像那些墓石上的雕像,那些戴着硬领和穿着黑长袍的牧师,以及他们的太太的画像都在盯着她的一双红鞋。牧师把手搁在她的头上,讲着神圣的洗礼、她与上帝的誓约以及当一个基督徒的责任,正在这时候,她心中只想着她的这双鞋。风琴奏出庄严的音乐来,孩子们的悦耳的声音唱着圣诗,那个年老的圣诗队长也在唱,但是珈伦只想着她的红鞋。 那天下午老太太听大家说那双鞋是红的。于是她就说,这未免太胡闹了,太不成体统了。她还说,从此以后,珈伦再到教堂去,必须穿着黑鞋子,即使是旧的也没有关系。 下一个星期日要举行圣餐。珈伦看了看那双黑鞋,又看了看那双红鞋——再一次又看了看红鞋,最后决定还是穿上那双红鞋。 太阳照耀得非常美丽。珈伦和老太太在田野的小径上走。路上有些灰尘。 教堂门口有一个残废的老兵,拄着一根拐杖站着。他留着一把很奇怪的长胡子。这胡子与其说是白的,还不如说是红的——因为它本来就是红的。他把腰几乎弯到地上去了;他回老太太说,他可不可以擦擦她鞋子上的灰尘。珈伦也把她的小脚伸出来。 “这是多么漂亮的舞鞋啊!”老兵说,“你在跳舞的时候穿它最合适!”于是他就用手在鞋底上敲了几下。老太太送了几个银毫给这兵士,然后便带着珈伦走进教堂里去了。 教堂里所有的人都望着珈伦的这双红鞋,所有的画像也都在望着它们。当珈伦跪在圣餐台面前、嘴里衔着金圣餐杯的时候,她只想着她的红鞋——它们似乎是浮在她面前的圣餐杯里。她忘记了唱圣诗;她忘记了念祷告。 现在大家都走出了教堂。老太太走进她的车子里去,珈伦也抬起脚踏进车子里去。这时站在旁边的那个老兵说:“多么美丽的舞鞋啊!” 珈伦经不起这番赞美:她要跳几个步子。她一开始,一双腿就不停地跳起来。这双鞋好像控制住了她的腿似的。她绕着教堂的一角跳——她没有办法停下来。车夫不得不跟在她后面跑,把她抓住,抱进车子里去。不过她的一双脚仍在跳,结果她猛烈地踢到那位好心肠的太太身上去了。最后他们脱下她的鞋子;这样,她的腿才算安静下来。 这双鞋子被放在家里的一个橱柜里,但是珈伦忍不住要去看看。 现在老太太病得躺下来了;大家都说她大概是不会好了。她得有人看护和照料,但这种工作不应该是别人而应该是由珈伦做的。不过这时城里有一个盛大的舞会,珈伦也被请去了。她望了望这位好不了的老太太,又瞧了瞧那双红鞋——她觉得瞧瞧也没有什么害处。她穿上了这双鞋——穿穿也没有什么害处。不过这么一来,她就去参加舞会了,而且开始跳起舞来。 但是当她要向右转的时候,鞋子却向左边跳。当她想要向上走的时候,鞋子却要向下跳,要走下楼梯,一直走到街上,走出城门。她舞着,而且不得不舞,一直舞到黑森林里去。 树林中有一道光。她想这一定是月亮了,因为她看到一个面孔。不过这是那个有红胡子的老兵。他在坐着,点着头,同时说: “多么美丽的舞鞋啊!” 这时她就害怕起来,想把这双红鞋扔掉。但是它们扣得很紧。于是她扯着她的袜子,但是鞋已经生到她脚上去了。她跳起舞来,而且不得不跳到田野和草原上去,在雨里跳,在太阳里也跳,在夜里跳,在白天也跳。最可怕的是在夜里跳。她跳到一个教堂的墓地里去,不过那儿的死者并不跳舞:他们有比跳舞还要好的事情要做。她想在一个长满了苦艾菊的穷人的坟上坐下来,不过她静不下来,也没有办法休息。当她跳到教堂敞着的大门口的时候,她看到一位穿白长袍的安琪儿。她的翅膀从肩上一直拖到脚下,她的面孔是庄严而沉着,手中拿着一把明晃晃的剑。 “你得跳舞呀!”她说,“穿着你的红鞋跳舞,一直跳到你发白和发冷,一直跳到你的身体干缩成为一架骸骨。你要从这家门口跳到那家门口。你要到一些骄傲自大的孩子们住着的地方去敲门,好叫他们听到你,怕你!你要跳舞,不停地跳舞!” “请饶了我吧!”珈伦叫起来。 不过她没有听到安琪儿的回答,因为这双鞋把她带出门,到田野上去了,带到大路上和小路上去了。她得不停地跳舞。有一天早晨她跳过一个很熟识的门口。里面有唱圣诗的声音,人们抬出一口棺材,上面装饰着花朵。这时她才知道那个老太太已经死了。于是她觉得她已经被大家遗弃,被上帝的安琪儿责罚。 她跳着舞,她不得不跳着舞——在漆黑的夜里跳着舞。这双鞋带着她走过荆棘的野蔷薇;这些东西把她刺得流血。她在荒地上跳,一直跳到一个孤零零的小屋子面前去。她知道这儿住着一个刽子手。她用手指在玻璃窗上敲了一下,同时说: “请出来吧!请出来吧!我进来不了呀,因为我在跳舞!”刽子手说: “你也许不知道我是谁吧?我就是砍掉坏人脑袋的人呀。我已经感觉到我的斧子在颤动!” “请不要砍掉我的头吧,”珈伦说,“因为如果你这样做,那么我就不能忏悔我的罪过了。但是请你把我这双穿着红鞋的脚砍掉吧!” 于是她就说出了她的罪过。刽子手把她那双穿着红鞋的脚砍掉。不过这双鞋带着她的小脚跳到田野上,一直跳到黑的森林里去了。 他为她配了一双木脚和一根拐杖,同时教给她一首死囚们常常唱的圣诗。她吻了一下那只握着斧子的手,然后就向荒地上走去。 “我为这双红鞋已经吃了不少的苦头,”她说,“现在我要到教堂里去,好让人们看看我。” 于是她就很快地向教堂的大门走去,但是当她走到那儿的时候,那双红鞋就在她面前跳着舞,弄得她害怕起来。所以她就走回来。 她悲哀地过了整整一个星期,流了许多伤心的眼泪。不过当星期日到来的时候,她说: “唉,我受苦和斗争已经够久了!我想我现在跟教堂里那些昂着头的人没有什么两样!” 于是她就大胆地走出去。但是当她刚刚走到教堂门口的时候,她又看到那双红鞋在她面前跳舞:这时她害怕起来,马上往回走,同时虔诚地忏悔她的罪过。 她走到牧师的家里去,请求在他家当一个佣人。她愿意勤恳地工作,尽她的力量做事。她不计较工资;她只是希望有一个住处,跟好人在一起。牧师的太太怜悯她,把她留下来做活。她是很勤快和用心思的。晚间,当牧师在高声地朗读《圣经》的时候,她就静静地坐下来听。这家的孩子都喜欢她。不过当他们谈到衣服、排场利像皇后那样的美丽的时候,她就摇摇头。 第二个星期天,一家人全到教堂去做礼拜。他们问她是不是也愿意去。她满眼含着泪珠,凄惨地把她的拐杖望了一下。于是这家人就去听上帝的训诫了。只有她孤独地回到她的小房间里去。这儿不太宽,只能放一张床和一张椅子。她拿着一本圣诗集坐在这儿,用一颗虔诚的心来读里面的字句。风儿把教堂的风琴声向她吹来。她抬起被眼泪润湿了的脸,说: “上帝啊,请帮助我!” 这时太阳在光明地照着。一位穿白衣服的安琪儿——她一天晚上在教堂门口见到过的那位安琪儿——在她面前出现了。不过她手中不再是拿着那把锐利的剑,而是拿着一根开满了玫瑰花的绿枝。她用它触了一下天花板,于是天花板就升得很高。凡是她所触到的地方,就有一颗明亮的金星出现。她把墙触了一下,于是墙就分开。这时她就看到那架奏着音乐的风琴和绘着牧师及牧师太太的一些古老画像。做礼拜的人都坐在很讲究的席位上,唱着圣诗集里的诗。如果说这不是教堂自动来到这个狭小房间里的可怜的女孩面前,那就是她已经到了教堂里面去。她和牧师家里的人一同坐在席位上。当他们念完了圣诗、抬起头来看的时候,他们就点点头,说:“对了,珈伦,你也到这儿来了!” “我得到了宽恕!”她说。 风琴奏着音乐。孩子们的合唱是非常好听和可爱的。明朗的太阳光温暖地从窗子那儿射到珈伦坐的席位上来。她的心充满了那么多的阳光、和平和快乐,弄得后来爆裂了。她的灵魂飘在太阳的光线上飞进天国。谁也没有再问她的那双红鞋。 -----------------------------------------------
舞蹈。红鞋。欲望。诱惑。现在的时代已经不像安徒生那时那样禁欲了,红鞋是美丽的东西。
顺便说一下,日本有一个关于红鞋的网站,18岁以下禁止入内。关于这个日本的Wikipedia里还有一段介绍:
『永岡書店より1997年8月に刊行された「世界名作アニメ絵本(14)・赤いくつ」(文:福島宏之、脚色・構成:照沼まりえ、画:杉本幸子)に登場するカーレンが2002年に個人のニュースサイトで「隠れた萌えキャラ」として紹介され、ファンサイトが立ち上がるなど独自の動きを見せている。』
至于这网站的网址我就不贴了吧。 |
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